• ジャハーンギーリー第一副大統領、EUのフィル・ホーガン農業・農村開発担当委員
    ジャハーンギーリー第一副大統領、EUのフィル・ホーガン農業・農村開発担当委員

イランのジャハーンギーリー第一副大統領が、テヘランにおけるEU事務所の設置に向けた取り組みを明らかにしました。

とはいえ、イラン政府関係者が、このような事務所の設置に関して発言を行うのは、これが初めてのことではありません。イランと6カ国の核協議のさなかにも、イラン外務省の関係者が、テヘランにおけるEU事務所の設置に関して、EU上級代表と話し合いが行われていることを明らかにしました。

イランとEU

ジャハーンギーリー第一副大統領はまた、「ヨーロッパは、イランとの協力に関して特別な期待を寄せている」としました。これは、アメリカが核合意の取り決めを破っている中で、明るい展望だと言えます。こうした中、イランとヨーロッパのこれまでの関係を見ると、ヨーロッパ諸国は大抵、イランとの協力について約束を守り通したことがありません。ヨーロッパ諸国は、1979年のイランイスラム革命後、パフラヴィー王朝の時代に有していた利権の多くを失いました。そのため、革命後の40年、イランのイスラム体制を弱めようと努力してきました。その最近の例は、ヨーロッパが、イランに対する全面的な制裁に関してアメリカに同調したことです。とはいえ、それは核合意の締結によって失敗に終わりました。

ヨーロッパは、イランイラク戦争の時代にも、イラクのサッダームフセイン政権に武器を売却することでイランの革命に対抗しました。この8年に及ぶ戦争が終わった後も、イスラム共和国の創始者、ホメイニー師が、「悪魔の詩」の著者、サルマンラシュディ氏に死刑を宣告したとき、ヨーロッパは再び、イランに対する圧力を強化しました。その後、イランとヨーロッパの関係は、1990年代の協議を受けて改善しましたが、その後もヨーロッパは、イランに対して、人権侵害やテロ支援といった根拠のない非難を浴びせ、外交や経済の面から、イランに圧力をかけました。

EU

また、イランの核協議の中でもヨーロッパ3カ国によって約束不履行が見られました。2000年代に入り、イランはイギリス、フランス、ドイツとの協議を始めましたが、この協議はアメリカの妨害によって結論に至らず、ヨーロッパ側は、イランが自発的な措置を講じたにも拘わらず、協議を中断しました。その後、イランと6カ国の核協議の中で、ヨーロッパは再び協議の席に戻り、イランとの関係を改善しようとしました。しかし、核合意の締結後、ヨーロッパの銀行は、イランへの金融制裁を続けており、ヨーロッパの投資家の多くが、アメリカの措置を恐れ、イランの市場に参入しようとしていません。こうして、ヨーロッパとの経済関係は一方通行であり、ヨーロッパから輸入品が入るのみです。

ローハーニー大統領、モゲリーニ上級代表

このような過去にも拘わらず、現在、イランとヨーロッパは再び、関係を改善しようと努めています。おそらく、テヘランにEU事務所が設置されることは、この関係改善の兆しのひとつとなりうるでしょう。しかし、ヨーロッパが突然、方向を転換してアメリカと同調するのを防ぐような計画を立てることが必要です。なぜなら、アメリカのトランプ政権が、ヨーロッパとイランの関係の緊密化をあまり望まない可能性があるからです。

2017年11月12日18時18分
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