• サーレハ元大統領
    サーレハ元大統領

イエメンのサーレハ元大統領が、4日月曜、殺害されました。多くの評論家によれば、サーレハ元大統領は、サウジアラビアとアラブ首長国連邦が計画した騒動の犠牲になったと見られています。

サーレハ元大統領の車

この問題について、IRIBエマーディ解説員は次のように語っています。

サーレハ元大統領は、この3年、いかなるときも、独立した個人とは見なされず、サウジアラビア、そして最近ではアラブ首長国連邦は、彼を自分たちの仲間と考えていました。

第一段階、6度のフーシ派との戦いにおけるサーレハ元大統領への支援

サーレハ元大統領は、2004年から2010年まで、6回に渡ってイエメンのフーシ派と戦い、これらの戦いの中で、サウジアラビアとアラブ首長国連邦の支援を受けていました。

第二段階、2011年のサーレハ元大統領の死からの救済

サーレハ元大統領は、2011年にも、大きな爆発によって命の危険にさらされましたが、リヤドで治療を受けるほど、サウジアラビアの政府にとって価値のある人物であり、再びイエメンに帰国すると、人々の蜂起に対抗しました。

第三段階、サーレハ元大統領の、サウジアラビアとアラブ首長国連邦の支援への期待と不満

サヌア

サーレハ元大統領が権力を退く原因になったのは、イエメンの人々が、この国の政治構造の変更を強く求めたことでした。そのため、サーレハ元大統領の権力を維持させようとするサウジアラビアとアラブ首長国連邦のあらゆる計画も、実を結びませんでした。サーレハ元大統領は、権力を退いた後、サウジアラビアとアラブ首長国連邦に不満を抱いていましたが、常に、復権のためにこの2カ国の支援を受けるべきだと考えていました。このことから、ひそかに2カ国の政府とつながりを持っており、サーレハ元大統領の一族とこの2カ国の政府の間には明らかな結びつきも確立されていました。

モフタディ氏

このような状況に注目し、アラブ世界の問題に詳しいモフタディ氏は次のように語っています。

 

「サーレハ元大統領の殺害は、2005年のレバノンのハリリ首相の暗殺と2011年のリビアのカダフィ大佐の殺害を想起させる。なぜなら、サーレハ元大統領は最近、イエメンで困難な状況に陥っており、身柄を拘束される可能性があったからだ。そのため、イエメンの元大統領をフーシ派との衝突に扇動した人々が、彼を消滅させ、最終的に、イエメンをレバノンやリビアと同じような内戦に巻き込もうとした可能性がある」

この他にも、サーレハ元大統領が、サウジアラビアやアラブ首長国連邦とつながりのある勢力によって殺害されたのではなかったとしても、彼の死は、この2カ国の彼に対する扱いの結果だとする見方があります。アラブ首長国連邦は、サウジアラビア以上に、この数年、サーレハ元大統領とつながりを持っていました。なぜなら、サーレハ元大統領の息子は、かつて、アブダビ駐在のイエメン大使を務め、近年も、アラブ首長国連邦とあきらかな関係を持っていたからです。アラブ首長国連邦は、このつながりを利用し、この数週間、サーレハ元大統領とフーシ派を衝突させ、イエメンに新たな混乱を作り出そうとしました。またその一方で、サーレハ元大統領の息子を支持し、権力を掌握させようとしました。しかし、アラブ首長国連邦の間違いとは、サーレハ元大統領の騒動が、人々に支持されないとは考えていなかったことです。アラブ首長国連邦は、サーレハ元大統領が人々に支持されていないことを理解することができませんでした。その結果、サーレハ元大統領は死に至ったのです。

ガンナードバーシー氏

アラブ世界のアナリストであるガンナードバーシー氏は次のように語っています。

「サーレハ元大統領は、殺害される前、サウジアラビアにとってはほぼ役に立たない駒になっていた。サウジアラビアとアラブ首長国連邦は、すぐにでも、イエメン国内の混乱を拡大するために、サーレハ元大統領の死を利用しようとするだろう」

いずれにせよ、サウジアラビアやアラブ首長国連邦が、サーレハ元大統領の殺害を計画していたとしても、またこの死が、両国の誤った政策の結果だったとしても、イエメンの人々は、過去40年に渡って圧制を行ってきた独裁者の死を喜んでいるのです。

2017年12月05日19時10分
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