2019年01月01日05時30分
  • イランのアルメニア人
    イランのアルメニア人

今回は、イランのアルメニア人の文化と芸術についてお話しすることにいたしましょう。

明らかに様々な民族やグループ、国民の平和共存により、安全や発展が手に入り、すべての天啓の宗教と神の預言者たちは、唯一神の奨励者、人類の救世主であり、平和を布告し、信者に対して愛情あふれる行動をとっています。

しかしながら、宗教の信者は時間が経過し、神の預言者の導きから離れることで、次第に逸脱し、時に他の国の影響を受け、他の宗教信者と平和共存することを否定することもありました。こうした中、イスラムでは、さまざまな信条や宗教を持つ人間の平和共存は、価値と目的のあるものとなっています。コーラン第3章アールイムラーン章、イムラーン家、第64節には次のようにあります。

「言え。「啓典の民よ、私たちとあなたがたとの間の共通の、すべての経典とその預言者たちに通達した言葉の方に来なさい。私たちは唯一神以外を崇拝せず、何ものをも彼の仲間としない。また私たちの一部が、神の代わりに一部のものを主として崇めない」と。それでもし、この真理へのあなたの呼びかけに背くならば、言ってやりなさい。「私たちは神や神の命令、戒律に従うことを証言する」と」

人類社会の発展、とくに社会的関係と情報移転の手段の驚くべき発展により、世界の人間は互いに近づいています。現代における平和共存は、これまで以上に互いの理解や認識を必要としています。

イランでの宗教信者の平和共存は、よく知られており、世界のよき手本となっています。この平和共存により、イランやイランの民族はさらに高い地位についています。

イランの文化や芸術において、美しく影響力ある、際立った作品を残したアルメニア系の芸術家はたくさんいます。彼らは音楽、演劇、映画、写真、建築、絵画、彫刻といった芸術のさまざまな分野で活躍してきました。

イランのアルメニア人は、数百年の間、この地で暮らし、無数の文化的、芸術的価値を生み出しました。

アルメニア人はサファヴィー朝のシャーアッバースの時代に強制的に移住させられ、イスファハーンのジョルファー地区に定住したあと、イラン人となり、国の繁栄に尽くしました。アルメニア人は文化を持った古い民族であることから、多くの分野で革新的な役割を果たしました。

政治、学術、音楽、映画、絵画、演劇、写真、印刷、産業、建築においてイランのアルメニア人の名前は最初に挙がってきます。おそらく世界中で、これほど移住先の国に尽くした民族はいないでしょう。

イランの文化や芸術がアルメニア人の芸術的創造に大きく影響したことは誰の目にも明らかです。イランのアルメニア人の芸術家や思想家は、自らの趣向に近いと思ったものをイラン人から学び、新たな文化や芸術の下地をイランの地で築きました。その文化や芸術はあらゆる研究においてふさわしい題材となっています。

17世紀から18世紀に、イスファハーンのジョルファー地区はイランのアルメニア人の学問や知識の発祥地となりました。1630年代にジョルファーのアルメニア人の宗教指導者の努力により、新たな学派が花開き、アルメニア人の文明・文化史において最高の形で繁栄しました。

この学派の生徒たちは、それぞれ尽力し、彼らの一人一人がイランのアルメニア人の歴史の中で、輝かしい経歴を手にしました。それらの作品は、アルメニアの芸術家の手により、特に壁画や細密画において現れ、これらの分野の傑作と見なされています。

写本において、ジョルファーのアルメニア人は数百冊という本を書き、それらのすべてに様々な絵画や細密画が見られました。

イスファハーンのジョルファーは、アルメニア人の文化・芸術史において、最も古い書物の印刷所の一つとなっています。言い換えれば、イラン初の印刷所はイスファハーンのヴァーンク教会の印刷所とみなすことができます。最初の書物は1638年に印刷されました。この印刷所は当初は非常に簡素な作りで、最も基本的な道具しかありませんでした。

アルメニア人の芸術のイラン芸術への影響もまた、イラン各地におけるアルメニア人の居住を受け明らかになり、芸術の様々な分野で花開きました。教育の分野では1930年、アルメニア人の女性がイラン初の幼稚園をテヘランにオープンしました。

演劇の分野でも、イランの舞台に現れ、役を演じた最初の女性はアルメニア人の女性たちでした。イランの演劇史の研究者は常に、イランの演劇の向上におけるアルメニア人の役割を称賛しています。

また、映画や写真の分野でも、アルメニア人は先駆者であり、彼らの多くがこの分野で活躍しています。

アルメニア人の芸術家は音楽の分野でも活発な活動を行っており、イランで初めての音楽学校で教師を務めていました。

イランの建築におけるアルメニア人の経歴もまた、非常に実りあるものとなっています。イランの建築においてアルメニア人が現れるのは、ダリウーシュ1世によってペルセポリスやシューシュの宮殿が建てられたころと一致します。これらの建造にはアルメニア人の建築家や石工が関わっていました。

現代においても、イランの建物には、アルメニア人建築家の影響が多く見られます。

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