コーラン 第29章 アンキャブート章 蜘蛛 第14節~第18節

慈悲深く、慈愛あまねき、アッラーの御名において

第14節

「まことに我々は、その民のもとにヌーフを預言者として遣わした。彼は1000年から50年を引いた年数を彼らの間で過ごした。[だが、人々の多くは彼に信仰を寄せなかった。]そこで、彼らを洪水が襲った。彼らは圧制者であった。」(29:14)

وَلَقَدْ أَرْسَلْنَا نُوحاً إِلَى قَوْمِهِ فَلَبِثَ فِيهِمْ أَلْفَ سَنَةٍ إِلَّا خَمْسِينَ عَاماً فَأَخَذَهُمُ الطُّوفَانُ وَهُمْ ظَالِمُونَ(14)

第15節

「我々は彼とその船に乗っていた人々を救い、それを世界の人々にとってのしるしにした」(29:15)

فَأَنجَيْنَاهُ وَأَصْحَابَ السَّفِينَةِ وَجَعَلْنَاهَا آيَةً لِّلْعَالَمِينَ(15)

 

この2つの節とその後の節は、ヌーフ、イブラヒーム、ムーサーなどの預言者たちの時代に生きた、かつての民の運命に触れ、彼らがどれほど信仰を寄せていたか、あるいは反抗していたかを述べています。この節によれば、預言者ヌーフは、1000年近くもの間、人々を導いていましたが、信仰を寄せたのはほんの少数の人々で、大多数の人々は、不信心や反抗に走りました。そのため、神の意志により、大きな洪水という厳しい責め苦が下り、すべての反対者は消滅し、敬虔な人々だけが救われました。神はその後の民の教訓となり、ある共同体が圧制の道を進み、真理に反抗した場合、滅亡するということを知らせるようにしたのです。

 

第14節 ~ 第15節の教え

●          信仰と不信心は、さまざまな民が現世で救われるか、滅亡するかに影響を及ぼします。

●          コーランによれば、1000年の間、生き続けることは可能です。そのため、シーア派で救世主とされるイマーム・マハディが、1200年前から生きていると信じることも可能なことです。

●          宗教の伝道においては、忍耐が必要であり、多くの人々が信仰を寄せることを期待してはなりません。

 

第16節 

「[思い起こしなさい。]イブラヒームがその民に言ったときのことを。『神を崇拝し、神に従いなさい。それはあなた方にとってよりよいことである。もしあなた方が知っているならば。」(29:16)

وَإِبْرَاهِيمَ إِذْ قَالَ لِقَوْمِهِ اعْبُدُوا اللَّهَ وَاتَّقُوهُ ذَلِكُمْ خَيْرٌ لَّكُمْ إِن كُنتُمْ تَعْلَمُونَ(16)

 

第17節  

「まことにあなた方は、神の代わりに偶像を崇拝し、大きな嘘を言っている。本当に、神の代わりにあなた方が崇拝する者たちは、あなた方の日々の糧の所有者ではない。日々の糧は神のもとに求めなさい。神を崇拝し、神に感謝するがよい。あなた方は神へと立ち返るのだ』」(29:17)

إِنَّمَا تَعْبُدُونَ مِن دُونِ اللَّهِ أَوْثَاناً وَتَخْلُقُونَ إِفْكاً إِنَّ الَّذِينَ تَعْبُدُونَ مِن دُونِ اللَّهِ لَا يَمْلِكُونَ لَكُمْ رِزْقاً فَابْتَغُوا عِندَ اللَّهِ الرِّزْقَ وَاعْبُدُوهُ وَاشْكُرُوا لَهُ إِلَيْهِ تُرْجَعُونَ(17)

 

預言者ヌーフの後、預言者イブラヒームは、人々を偶像崇拝から遠ざけ、彼らに唯一の神を崇拝するよう呼びかけ、宗教をもたらした2番目の預言者でした。預言者イブラヒームは、偶像崇拝の原因のひとつは、人々の経済的なニーズにあると考え、彼らに向かってこのように言いました。「あなたたちが貧しさゆえに偶像を崇拝するのであれば、それらは、あなたたちの生活において何の役割も果たさず、あなたたちのニーズを満たす力もないことを知りなさい。だがもし神を崇拝し、神の恩恵に感謝すれば、それら魂のない偶像への服従から解放されるとともに、あなたたちの現世での日々の糧をその手に握る存在に平伏すことになる。そして死後も、神へと返り、神があなた方の結末を決める」

 

第16節 ~第17節の教え

●          崇拝や礼拝は、罪の回避と敬虔さを伴っていなければ意味がありません。

●          自分の物質的な生活において、神ではなく別のものを役立つ存在と考える人は、一種の多神教信仰者です。

●          宗教は、人々に、生活での福祉と物質的なニーズの確保に向けて努力するよう呼びかけるのと同時に、神から与えられた恩恵に感謝し、神のみを崇拝するよう求めています。

 

第18節 

「また、あなた方が私を否定しても[、驚きはしない]。以前の共同体も自分たちの預言者を否定した。預言者には、[宗教を]明白に伝えること以外の義務はない」(29:18)

وَإِن تُكَذِّبُوا فَقَدْ كَذَّبَ أُمَمٌ مِّن قَبْلِكُمْ وَمَا عَلَى الرَّسُولِ إِلَّا الْبَلَاغُ الْمُبِينُ(18)

 

この節では、偶像崇拝者に向けた預言者イブラヒームの言葉が述べられています。「私は、すべての人が神の宗教に信仰を寄せることを期待してはいない。なぜなら、過去の民の経験は、多くの人が預言者を否定し、預言者の導きを受け入れなかったことを示しているからだ。私をはじめとする全ての神の預言者の責務は、神の導きを伝えることである。人々がそれを受け入れるか否かの責任は私にはない。私には、神の宗教を広めるという己れの責務を果たす必要はある。がもし全ての人が不信心者になったとしても、私には何の責任もない」

 

第18節の教え

●          神の預言者たちは、人々に信仰を寄せることを強制したりはしませんでした。彼らは自分の義務は、強制することではなく、伝えることだと考えていました。

●          敬虔な人々は、全ての人が自分たちと同じように神に信仰を寄せることを期待すべきではありません。彼らは宗教の教えを伝えるという義務を果たせば、不信心に走った人々に対しては何の責任も負いません。

 

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2018年10月03日17時20分
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