• 旅行記から見るノウルーズ(1)         

旅行記は、イラン人以外の人々から見たイランの新年・ノウルーズの習慣について記している資料の1つです。

2回にわたるこのシリーズでは、いくつかの旅行記に記されているノウルーズ、そして今から200年ほど前のガージャール朝時代における、イラン人のノウルーズの習慣についてお話することにいたしましょう。

 

イランに関する旅行記は、様々な時代においてイランやそれ以外の国の人々により記されており、人々の生活様式や思考形態、さらには風俗習慣や信条がうかがえます。こういった旅行記では、イラン人のノウルーズの習慣について、多くのページが割かれています。

ガージャール朝時代は、外国人の旅行家がイランを訪れた時代でした。彼らは、当時のイランの文化的、社会的、歴史的な事実が満載された価値あるそれぞれの旅行記を、回想録として綴っています。これらの旅行記はまた、当時においてノウルーズの習慣が続いていたことにも触れています。

オーストリア人の学者ジャコブ・エドゥアルド・ポラクは、10年間イランで暮らした後にオーストリアへ帰国し、イランやイラン人に関する著作を著しました。彼の旅行記には、イランの地理や歴史、文化に関する有益で貴重な情報が収められており、価値あるものです。ポラクは、序文で次のように述べています。

「私は、世界で最も興味を引く国民の暮らしや行動、国民性について記そうとした。その国民の栄誉は、どちらかと言えば過去の時代の行動によるものである。だが、それは今なお衰えることなく、未来の世界や文化の歴史において再び、注目に値する役割を果たすのにふさわしい」

 

チャリコフという旅行家も、イラン人が古代の祝祭ノウルーズを大切にしていること、そしてイラン人にとってノウルーズは尊重すべきものだとしています。

また、19世紀にイラン駐在したシェイル・イギリス公使夫人も、回想録の中で、ノウルーズの祝祭は華やかさを失っているが、イランでこの祝祭が廃れることはないと思われると記しています。

 

19世紀末から20年間イランに滞在したアメリカ人、ジョン・ウィシャードは、ノウルーズをイランで唯一権威ある祝祭だとし、また経済、社会、政治の分野で最も大きな出来事だとしています。ウィシャードによれば、イラン人はこの祝祭を完璧に、そして盛大に祝い、ノウルーズ期間中は恵まれない人々さえも、その苦しみを忘れる、としています。

これらの本の著者は、実際にノウルーズの祝祭の様子を目の当たりにしています。『冬の旅行記』で知られるスコットランドの旅行家ジェームズ・ビリー・フリーザーは、これについて次のように述べています。

「イラン人がゾロアスター教に従うようになったときから、春分の日が新しい年の始まりとされていた」

『現代のイラン』という旅行記を著したフランスの外交官ウジェーヌ・オーバンは、イランの伝説に照らし、ノウルーズを初めて定めたのは、イラン人の最初の王であるジャムシードだとしています。

 

19世紀の初期にイランに滞在していたフランス人のガスパール・ドルヴィルは、ノウルーズの歴史とその重要性を指摘し、次のように述べています。

「イランの新年ノウルーズは、太陽がおひつじ座に移転する日である。これにちなんで執り行われる儀式は、古代のゾロアスター教の時代から現在まで維持されており、アジア全域を探してもこのような祝祭は存在しないと予想される」

19世紀のドイツの学者ハインリッヒ・ブルグシュは、イラン人にとってのノウルーズについて、次のように述べています。

「ノウルーズという言葉は、全てのイラン人にとって神秘的かつ、奇跡をもたらす言葉である。この言葉を耳にすることで、全ての人々の心がときめき、全ての人々が微笑み、ノウルーズを思い起こし、よりよい将来への希望を持ち、全ての困難に耐え、ノウルーズの到来を待ち望みながら1年を過ごすのである」

ブルグシュは、さらに次のように述べています。

「ノウルーズは、全ての人々に独特の喜びをもたらす。近隣の人々どうしで、互いにこの祝祭に当たってお祝いの言葉を交わしあうが、これは2000年以上もイランで普及しており、これまでの歳月において、どのような出来事によってもすたれることはなかった。あらゆる信条や宗教を持つ人々が、ノウルーズを祝っている」

 

一部の旅行家は、ノウルーズをあらゆる視点から捉えており、この習慣は確かに美しいものではあるものの、ガージャール朝時代のイラン人の家庭経済に悪影響を及ぼしていた、という点にも注目しています。ポラクは、この点を指摘し、次のように述べています。

「一部の家庭では、ノウルーズの買い物をするために、あらゆる手段をつくし、時には家族のニーズを満たすために分割ローンを組まなければならなかった」

フランスの小説家ゴビノーは、次のように述べています。

「人々にとって最大のイベントは、年明けの日々であり、彼らはノウルーズを祝うための費用を必要としている。一般的に、お祝い事や追悼儀式の全ての場合において、このことが当てはまる。」

 

ヨーロッパ人の旅行家が頻繁に指摘している興味深いポイントとして、托鉢をする修行者が上流階級層や富裕層からお年玉のような、エイディと呼ばれる金銭を受け取ることが挙げられます。オーストリア人学者のポラクは、次のように述べています。

「ノウルーズの2,3週間前には、あちらこちらから托鉢をする修行者が大都市に殺到し、金持ちの家に托鉢に行かせてもらえるよう、自らを修行者のリーダーと名乗っていた」

イギリス人のチャールズ・ジェームズ・ウィルズは、修行者によるノウルーズの祝祭について、次のように述べています。

「ダルウィーシュと呼ばれる修行者にとって、ノウルーズほど楽しく過ごせ、金を得られるときなない。ノウルーズの期間中、イラン人は誰でも、街中で通りがかりの修行者を見かけると、ある程度の施しを行う義務感にかられる。さらに、修行者はそれぞれノウルーズの間、出向いた先で豊かな人々の中から1人を選び、その人の家の前にみすぼらしいテントを張り、もっともらしく神よ、神よと叫ぶ、すると、その光景を見た金持ちが、いくばくかの金を、その修行者に施すのである」

フランスの外交官オーバンは、ノウルーズのこの点について、少々異なる見解を示し、次のように述べています。

「ノウルーズの到来により、テヘランの修行者たちは、彼らのリーダーの家に集まり、ノウルーズにかこつけて恵んでもらうため、それぞれ目当てとする金持ちを選ぶことになる。彼らは、決められた場所に待機し、準備を整える」

もっとも、ドイツの学者ブルグシュは、エイディをやり取りする習慣においては、そのほかの社会階層の人々も関係していたことを認めています。

 

 

2017年03月15日21時18分
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