イランの世界的な映画監督・アッバース・キアーロスタミーの1周忌の式典が、テヘランの「イラン芸術家の家」で行われました。

アッバース・キアーロスタミーの1周忌の式典

 

イラン映画において、キアーロスタミー監督は唯一無二の存在でした。彼はイラン映画が国際的な成功をおさめる道を切り開き、ヒューマンドラマがイランの映画の代名詞となる時代の基礎を築いた人物です。彼の作品「友だちのうちはどこ」は、長年、イラン映画の代表作とされてきました。

「友だちのうちはどこ」

 

最近行われた、キアーロスタミー監督の1周忌の式典では、数名の芸術家が演説を行い、キアーロスタミー監督作品の一部を切り取った短編映画が上映されました。キアーロスタミー監督の作品を扱った展示会も行われ、ポスター、本やCD、写真などが展示されました。

グラフィックデザインの第一人者アムロッラー・ファルハーディー氏は、キアーロスタミー監督のグラフィック作品はほかに類を見ないものだとしています。

「キアーロスタミー監督は常に自身の不安について語っており、この不安が詩や絵画、写真などの活動のきっかけになるとしていた。」

ファルハーディー氏はキアーロスタミー監督がデザインしたポスターの特徴について、次のように語りました。

「キアーロスタミー監督がデザインしたポスター27点がここに飾られているが、これらは非常にモダンで洗練されていて、当時の一部の著名な芸術家のみにしか、そのような作品を期待できないようなものだった。なによりも重要なのは、彼の作品におけるミニマリズムだ。芸術を語る際の彼の明瞭な視点は、彼が活動を行ったすべての芸術分野の否定できない一面である。実際、キアーロスタミー監督の作品の中で注目すべきなのは、彼がシンプルな映像を作り出すために選んだ方向性である。彼は芸術作品を作るために、単純な事柄を問題とし、緻密で鋭い視点により、複雑な事柄を、単純なものにかぶせ、明確な、しかし異なった結論に至らせようとした。」

ファルハーディー氏はさらに、次のように語っています。

「キアーロスタミー監督は、このような見解に達するために、自分の技術を単純な事柄の中から発見を行うことによって広げていった。このために、彼の映画作品は、ほかとは異なるものとなっており、新たな世界を示している。おそらく、もし、これらの作品が公開されていなければ、誰も、多くのポスターが彼の作品であったことに気づかなかっただろう。これは、キアーロスタミーが監督が自分を主張することがなく、創作活動に関心があったことを示している。」

ファルハーディー氏

 

キアーロスタミー監督は、シナリオライターであり、編集家でもあり、写真家で、詩人で、画家です。彼は1940年6月21日にテヘランで生まれ、2016年6月5日にフランス・パリで闘病生活の末、死去しました。彼の映画作品は国際的な影響力があり、多くの映画評論家に絶賛され、国際的な映画祭で多くの支持を集めました。

キアーロスタミー監督は1970年、映画制作活動をはじめ、40以上の長編、短編映画作品やドキュメンタリー映画作品を制作しました。最も重要な映画作品に、「友だちのうちはどこ」、「オリーブの林をぬけて」、「そして人生はつづく」、「桜桃の味」などが挙げられます。彼は晩年、「トスカーナの贋作」など、イラン国外で作品を作っていました。

キアーロスタミー監督は、映画のほか、詩や写真、音楽、グラフィックデザイン、絵画などの分野でも活動していました。彼はイラン映画の新たな時代における第一人者の一人とみなされています。簡素さ、子供を主役に据えること、ドキュメンタリー的な形式、村を舞台として利用すること、詩的であること、車の中の登場人物の会話、こういったものがキアーロスタミー監督の映画の特徴です。

キアーロスタミー監督はいくつかの大きな映画賞を受賞しています。彼の作品は5回カンヌ国際映画祭にノミネートされ、1997年には、「桜桃の味」で最優秀作品賞を受賞しました。また、権威ある国際的な映画祭の審査員もつとめました。カンヌ国際映画祭では4回にわたり審査員となり、イランの芸術家の先駆け的な存在でした。キアーロスタミー監督は32の個人的な賞を得ており、最も栄誉あるイラン人芸術家とみなされています。

キアーロスタミー監督の作品「クローズ・アップ」は、2015年のプサン国際映画祭で、最も優れたアジアの映画監督の10人のうち一人に選ばれました。彼の作品のほか、小津安二郎監督の「東京物語」、台湾のホウ・シャオシェン監督の「非情都市」が選ばれています。また、黒澤明監督やインドのサタジット・レイ監督も、この中に入っています。2011年の新聞ガーディアンの記事では、現代世界の優れた映画監督40人がリストアップされ、キアーロスタミー監督はこの中で6位でした。

2017年4月にテヘランで行われたファジル国際映画祭の重要な部門に、キアーロスタミー監督を追悼するイベントがありました。カンヌ国際映画祭の元実行委員長は、メッセージを送り、次のように語りました。「彼は世界でもっともクリエイティブな人物の一人だ。彼はすべてをよくわかっており、世界を理解している。と同時に最高の写真家だった。いずれにせよ、彼は私たちが尊敬する人物であり、これらに関して、彼に対しては言葉にできないような感情を持っている。彼は世界の映画界の巨匠の一人であり、私はこの年でも彼から映画を学びたいと思っている」

スペインのビクトル・エリセ監督はこの式典に出席していたキアーロスタミー監督の友人の一人でした。彼は次のように語っています。「イランはキアーロスタミー監督が愛した地だ。私たちにとって、キアーロスタミー監督について話すのはとてもむずかしい。なぜなら、私たち映画監督は互いをその作品によって認識しているからだ。私は片時も、彼の映画『クローズ・アップ』をマドリッドで見終わり、映画館から出るとき、ものすごく深い感銘を受けたを受けたということを忘れたことはない。それは、映画に対する新たな見方が私の中で生じたほどだった。キアーロスタミー監督の映画は、ヨーロッパの映画を見飽きた人物に支持された。彼は私たちの世界観を再検討させた」

キアーロスタミー監督

 

エリセ監督はまた、次のように語っています。「我々は大気汚染だけではなく、映像の汚染という問題のある世界に生きている。どのようにしてこの空間を映像で描くことができるだろうか。彼はこの問いに対する答えを与えてくれた。」さらに、キアーロスタミー監督の思い出について次のように述べました。

「マドリードの美術館を一緒に歩いていたとき、キアーロスタミー監督が関心を持っているのは、美術館の外で起きていることだと知った。彼はこの世すべては、自分の仕事場だと語っていた。キアーロスタミー監督のような人物がいなければ、この世はみすぼらしいものになってしますが、人類の遺産である彼の作品が残っている」

キアーロスタミー監督を追悼する式典に参加したフランスの研究者は、彼について、次のように語っています。「24年前にキアーロスタミー監督の作品をフランスの小さな町で見た。私はそのとき、イラン映画について知らなかったが、この映画をきっかけに、私は博士論文にこのテーマを選ぶことにした。この映画は私をイランに導いた。」

この研究者はまた、次のように述べています。

「キアーロスタミー監督はイランを愛しており、この愛をほかの人にどのように伝えるべきかを知っていた。彼の映画は、私たちを『自由であり、責任をもつように、だが、それは簡単ではない』ということを教える旅に連れて行く。このため、キアーロスタミー監督はただの映画監督ではなく、彼は新たな視覚芸術の巨匠だった。このため、フランス教育省は、彼の映画を発見する機会をフランスの生徒たちに与えた。」

この研究者はさらに、こう述べています。

「当時のフランスの教育大臣は、私に対して世界の100の優れた映画のコレクションを用意するよう要請した。この映画のコレクションの最初の作品は、キアーロスタミー監督の「友だちのうちはどこ」となっている。言葉もわからず、字幕も読めない幼児も、キアーロスタミー監督の作品を理解し、どのように生きるべきかを知った。当時、フランスの高校の生徒や、大学予備課程の子供たちも、キアーロスタミー監督の映画と共に成長した。教育大臣にとって、映画による教育の目的とは、社会問題を映し出したり、子供たちから映画製作者を輩出することにとどまらず、自由で責任のある人物を作りだすことにもあった。キアーロスタミー監督の作品は、私たち自身が考え、この世界を違った形で見る機会を与えてくれる。」

2017年08月13日21時11分
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