• イラン北東部マシュハドのイマームレザー廟
    イラン北東部マシュハドのイマームレザー廟

19日日曜は、シーア派8代目イマーム・レザーの殉教日です。 この期間、イラン北東部マシュハドのイマームレザー廟には、イマーム・レザーの殉教日に合わせて多くの巡礼者が訪れ、喪に服しています。この廟は巡礼地であり、心の疲れた人々のよりどころとされてきました。さまざまな年代の人々が、哀悼の意をささげるため、イマームレザー廟を訪れ、イマームレザーの名を唱えます。

イラン北東部マシュハドのイマームレザー廟

イマーム・レザーは、西暦799年、35歳のとき、父親のシーア派7代目イマーム・カーゼムが殉教した後、イマームの責務を引き継ぎ、イスラム教徒の指導者となりました。そして、西暦817年まで、聖地メディナに滞在していました。この期間、アッバース朝の為政者・マームーンは政治的な策略により、イマーム・レザーに対して、現在のトルクメニスタンにあるホラーサーン地方のマルヴに行くよう求めました。マームーンがこれを強要したことにより、イマームレザーはメディナからマルヴに赴きました。

 

イラン北東部マシュハドのイマームレザー廟

 

イマーム・レザーのマルヴ行きは、彼の生涯における重要な転機でした。それはこのマルヴ行きで、イマーム・レザーの精神的な偉大さと高い学術的な地位がそれ以上に明らかになったからです、マルヴやホラーサーンの人々はイマームレザーの存在を知ることで、イマームレザーに実際に会い、その学識により、真理を知りたいと望むようになったのです。

 

イマーム・レザーはおよそ2年間、マルヴに滞在し、その後、マームーンの命令により、毒を盛られ、818年9月に殉教しました。

 

イマーム・レザーは、イスラムの預言者ムハンマドや、そのほかの清らかな預言者の一門のように、高潔な道徳や、正しい礼儀に従い、道徳的な卑しさの認識に基づいて、一部の行為を否定していました。また、コーランの節を利用し、神に対する注目を自身やほかの人々の中に植え付け、彼らを正しい僕としての、幸福の道に向かわせたのです。

 

イラン北東部マシュハドのイマームレザー廟

 

イマーム・レザーは55年の生涯のうちの20年間にわたり、イスラム共同体の指導者を務めました。この時代は、学問が繁栄した時代でもあり、イマームレザーはその指導や推論により、宗教の偉人や学者を驚かせていました。彼らはイマームのコーランに対する学識とその範囲に驚きました。実際、イマーム・レザーの高貴な忠告やモラルは、道徳的なコーランの節を物語っており、コーランは、イマーム・レザーの思考、言葉、行動に、全面的に表れていたのです。

イラン北東部マシュハドのイマームレザー廟

 

イマーム・レザーは、教友から、「コーランをどのように考えているか」から尋ねられたとき、こう答えました。「コーランは神の言葉で、神の領域を侵害し、その導きをコーラン以外に求めてはならない。そうでなければ、迷いに陥ることになる」

イマームレザーは、この言葉により、導きと幸福の道は、コーランの教えに従うことの中にあることを明らかにしたのです。

 

イマーム・レザーは、コーランは神の僕たちを楽園へと導き、地獄から救い出す強い綱のようなものであり、神の優れた教えだと紹介しました。時代が過ぎ去っても、古くなることはなく、その価値や、影響力が損なわれることはありません。つまり、神はそれを特定の時代のために下したのではなく、全人類のために下した恩恵であり、それが無効になることはありません。

 

イラン北東部マシュハドのイマームレザー廟

 

アッバース朝の支配者、マームーンは、イマーム・レザーのために論争の場を設けました。イマーム・レザーは預言者一門の学識の偉大さや正統性を示すつもりはありませんでした。マームーンはこの論争の場にさまざまな宗派の思想家を招待し、イマーム・レザーを苦境に陥れるため、彼らとイマーム・レザーを対決させようとしました。

 

マームーンが想定していたのとは逆に、イマーム・レザーと、各宗派の学者の論争は、マームーンに何の利益ももたらさなかったばかりか、マームーンとアッバース朝体制にとっての問題を生み出しました。このため、マームーンは、イマーム・レザーがこの論争の場で賢明さを示すことで、すべての思想家や人々の注目を集め、一方で、イマームが特別な信用を得て、人々に対するイマームの指導性が明らかになる下地が整う危険性を理解し、イマームをコントロールしようとしました。こうしてイマーム・レザーと思想家や支持者との関係により強い制限を加え、論争が広がるのを防ごうとしたのです。このため、マームーンは、ムハンマド・ビン・ウマルという人物らにたいして、人々をイマーム・レザーの学術的な集まりや議論の場から遠ざけるよう指示しました。

イラン北東部マシュハドのイマームレザー廟

イマーム・レザーは内面的な問題への注目と、崇拝の問題を扱うことにつとめました。彼は当時においてもっとも敬虔な人物であり、完全さと高貴な性質、真の人間性を備えていました。常にイスラム教徒の問題にかかわり、また、人々の問題や窮乏を解消する中で、大変な努力を行いました。

 

イマーム・レザーの豊かな学識と英知により、イスラム世界の思想家や要人は彼の下を訪れていました。彼はイマームの責務を担っていた時期、多くの学者を育て、コーラン解釈、ハディース学、道徳、哲学、医学に関する重要な作品を記していました。

 

また、人々にイスラムの教えを開示していました。彼はメディナや自身の神学校で多くの生徒を集め、彼らに教育を施していました。この生徒たちはイマーム・レザーの下に集まり、イマーム・レザーの学識を得ていたのです。

 

 

2017年11月20日01時16分
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