• イランのオミード衛星
    イランのオミード衛星

イランは今、1979年のイスラム革命を記念する夜明けの10日間を迎えています。

この期間に際し、この時間は、イスラム革命が、国民の自信にどのような影響を及ぼしたか、それがどのような成果をもたらしたかについてお話しします。また、こうした成果の一つとして、イランの科学の成長と世界におけるこの分野の地位の向上について見ていくことにいたしましょう。

 

イランでイスラム革命が起こった背景について説明する思想家らは、その理由のひとつに、独裁的な王政と外国の支持者による歴史的な侮辱への国民の反応を挙げています。彼らは、パフラヴィー王政時代、イラン国民はひどい侮辱を受けていたため、国民の自信と独立を訴えたホメイニー師の叫びにこたえ、イスラム革命が起こったと考えています。

 

この観点から、イスラム革命は、国民の自分たちを信じる気持ちから生まれたものだと言えます。その後も革命は、この自信の強化に根本的な役割を果たしました。イスラム革命の指導者であるホメイニー師の言葉を見ると、ホメイニー師が、自負心の強化の必要性を繰り返し訴え、それに注目していたことが分かります。

 

例えば、ホメイニー師は、パフラヴィー政権の行動による悪影響について次のように語っています。

 

「重要なのは、イランの人々が、自分たちで何かを行えると理解することだ。この間、イランの人々は何もできず、すべてのものを海外からもたらすべきだ、ヨーロッパから、アメリカからもたらすべきだと吹き込まれてきた。その結果、イランの人々の頭脳は機能しなくなった。使わせてもらえなかったのだ。イランの人々、国民は、他の人々に劣ってなどいない。それどころか、彼らよりも非常に優れている。しかし、こうした能力が発揮されることが妨げられていた。能力を発揮すべきであり、政府や国民は、発明や革新をもたらす人々に注目し、イランが自分ですべてのものを作り、独立することができるようにすべきだ」

イスラム革命の指導者、ホメイニー師

 

 

現在、イスラム革命の勝利から40年近くが経過する中で、革命の指導者や思想家によって、革命の当初に提起された“自己への回帰”や”国民の自信”は、イラン国民の文化的な特徴、あるいは原則の一つとなっています。

 

現在、イラン国民にとって、独立とは、かなうことのない目標や理想ではありません。国民はそれを実際に経験し、その結果は、人々の生活のあらゆる場面で目にすることができます。この独立と自信の最も重要な成果は、科学の分野におけるものです。

 

イランのイスラム革命は、イラン国民の歴史的な願いの一つである発展の実現をかなえました。この重要な事柄は、イランの若者や思想家の役割を信じることによって生まれる、知識や科学に頼ること以外に実現することは不可能でした。ホメイニー師は、革命の指導者として、常に、イランの科学と知識の発展を、革命の重要な目標のひとつとして強調し、その他の目標、特に政治的、経済的、思想的な独立は、社会が知識や科学という武器を備えてこそ、実現されると考えていました。

 

1979年のイスラム革命後の、イランの知識や科学の発展に向けた活動のひとつは、社会における識字率向上運動でした。そのため、革命勝利の翌年、ホメイニー師は識字率向上運動の開始を指示しました。ホメイニー師はメッセージの中で、次のように語りました。

 

「文学と科学の発祥地であり、学問の追求を義務とするイスラムのもとにある国において、多くの人が読み書きができないのは恥ずべきことである。長期的な文化計画により、我々の国を独立した文化の国に変える必要がある。読み書きのできるすべての人が、それができないすべての人々に教えるために立ち上がるべきである」

 

この運動の開始により、社会で多くの人が読み書きを学ぶようになりました。統計によれば、1979年の革命当時、6歳以上の国民の識字率は48%でしたが、革命後には、75%に増加しました。

 

イスラム革命からおよそ20年の1996年、識字率は80%となり、2016年にはおよそ90%に増加しました。

イランにおける識字率の向上

 

 

イスラム革命は、女性が社会に効果的に進出するための幅広い可能性を整えました。女性が社会で優れた役割を見出すための重要な分野の一つが、教育や研究の分野でした。

 

革命前、学問を収めた女性の割合は、3分の1の35%でしたが、革命後の1996年までには75%、2012年には81%に増加しました。

 

イスラム革命から39周年を迎えようとしている現在、イランの女性たちは、高い教育を受け、政治、経済、社会の多くの分野で活躍しており、一部の分野で、その役割は男性よりも高いものとなっています。

 

統計によれば、1979年の女子大生の数は5万人以下でしたが、1996年には50万人に増加し、現在は200万人近くに達しています。

 

特にこの数年、女子大生の数は、男子学生を上回っており、現在の統計では、国立大学の学生のおよそ56%を女子学生が占めています。

 

国民の自信が強化された結果、世界におけるイランの科学的な力の強化は、ホメイニー師が亡くなった後、ハーメネイー師が最高指導者となった期間にも続いており、さらに高まっています。ハーメネイー師は、イランのイスラム革命勝利の成果のひとつとして、西側に依存した関係が崩されたことによる若者たちの能力の開花、自負心の強化を挙げ、イスラム革命は、科学的な依存の輪を絶ち、若者の間の自信を強化し、イランの科学的な成長の土台を整えたとしています。

 

「革命前まで、若者たちやそれ以外の人々には、科学の分野で独創性を発揮する機会が与えられていなかった。しかし、革命は社会に自信と独立の力をよみがえらせた。イスラム革命は、この国に科学の成長を与えることができた。この非常に苦しい期間の我々の科学の成長は、世界が科学的に最も成長した50年、60年の間に比べてはるかに優れたものだった」

イランにおける科学の成長

 

 

最高指導者ハーメネイー師の時代に、イランの科学の分野の政策により、その発展は停止するどころか、さらに加速しました。

 

科学文献データベースISIの情報によれば、イスラム革命勝利前の1940年から79年までのパフラヴィー王政時代の39年間、イラン人の学者が国際会議や雑誌に発表した論文の数は、2026本でした。一方で、世界ではこの間、多くの知的生産活動が行われていました。この期間に世界で発表された科学論文の数は800万本を超えており、そのうちイランが占める割合は、およそ0.3%でした。

 

しかし、イスラム革命の勝利後、イランにおける知的生産活動の加速により、科学論文の数は24万5000本に増加しました。つまり、世界の知的生産活動に占めるイランの割合は、大幅に増加したのです。これは、イランが8年に及ぶイラクとの戦争を強要され、科学研究活動に適した状況が整っていなかった中でのことでした。

 

量だけでなく、質の点でも、イランの状況は大きく変わりました。知的生産活動の質を図る重要な指標は、論文の参照数です。統計によれば、革命前にイランで発表された論文2026本のうち、参照された数は1178回でした。しかし、革命後には94万5000回に増加しています。言い換えれば、イラン人学者の論文の参照回数は、イスラム革命の勝利から40年間で、それ以前に比べておよそ800倍に増加しました。

 

イランの科学の発展は、およそ40年の間、イランが政治的、経済的に最も厳しい国際的な制裁を受け、アメリカをはじめとする世界の覇権主義国が、イランの発展を妨げようとしてきた中で実現しました。これら多くの妨害にもかかわらず、現在、イランは革命の勝利から40年を前に、国民の自信を支えにして世界の科学の頂点を極めようとしており、イランや世界の人々の前に明るい展望を描いています。

2018年02月07日20時51分
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