2019年09月07日21時45分
  • モハッラム月、シーア派の英雄ホサインの抵抗の記念日
    モハッラム月、シーア派の英雄ホサインの抵抗の記念日

今年もまた、イスラム暦の最初の月であるモハッラム月がめぐってまいりました。この月は、壮大な抵抗運動を人々の記憶に蘇らせるものです。

即ち、シーア派3代目イマーム・ホサインがイスラム暦61年に当たる西暦680年に、当時のウマイヤ朝政権の暴君ヤズィードに対して立ち上がったという、英雄伝とつながっている月なのです。

 

毎年、モハッラム月の到来とともに、シーア派教徒の心は興奮と情熱に沸きかえります。今から1300年以上も前に、現在のイラク・カルバラーで発生したイマームホサインの英雄伝は、時代や国境を越えて現代の世界にも伝わり、また全ての時代に影響を及ぼしています。その証拠に、イマーム・ホサインのメッセージは今なお多くの人々の良心に訴えかけ、暴虐や不公正に対し抵抗するよう促しています。この意味において、イスラム、そして世界の歴史において圧制に対しこの偉人が立ち上がったことは、極めて重要な出来事なのです。

既によく知られているように、預言者たちや宗教指導者らは神の啓示宗教を立ち上げるに当たって、圧制や腐敗との戦い、人々の自由と幸せのために、歴史を通して大変な苦労を重ねました。彼らの運動を神聖化しているのは、彼らの清らかで宗教性を帯びた動機づけであり、イマーム・ホサインの抵抗運動も、まさにこうした宗教的な動機付けにより実現したものです。

全体的な視点で捉えた場合、イマームホサインの動機付けの全ては、啓示宗教の復活というまさに崇高な目的において探索できるといえます。イスラムが、様々な時代においてこの宗教を歪曲や逸脱から守ろうとした、預言者ムハンマドとその一門による多大な努力に負うところが大きいことは、言うまでもありません。預言者ムハンマドがこの世を去ってから起こった出来事は、一部の人々がイスラム以前の無明時代の迷信や考えの復活に力をいれていたこと、また中には信仰心の弱さから彼らに迎合し、或いはこれを黙認した人々もいた、という事実を物語っています。

モハッラム月、シーア派の英雄ホサインの抵抗の記念日

 

イマーム・ホサインが行動を起こした時代背景

預言者ムハンマドは、神からの恒久的な託宣と、その精神性あふれる偉大な人格により、当時の社会に根底的な変革をもたらしました。しかし、彼がこの世を去ってからは、無明時代の伝統や習慣に逆戻りしようとする傾向が強まり、イスラムの内部に多数の異端が生じる背景が生まれました。もっとも、どのような革命や変革の後にも、過去の習慣や信条は多少なりとも残り、以前の社会状況に戻ろうとする下地ができるものです。ウマイヤ朝政権はイスラム世界を支配したことにより、矛盾した政策をもって、急速にイスラム世界をイスラムの本来の教えから脱線させようと仕向けました。こうした状況のもと、預言者ムハンマドの全力による戦いの対象であった、無明時代の迷信や民間信仰の一部が再生してしまったのです。この問題は、ウマイヤ朝政権時代の終わり、即ち為政者ムアーウィヤとヤズィードの時代に最高潮に達しました。

ムアーウィヤの死後は、その息子のヤズィードが政権を掌握しました。しかしこのことは、ムアーウィヤが以前に、シーア派2代目イマーム・ハサンとその兄弟であるホサインとの間で取り交わしていた、その後の後継者を選ばないという取り決めに違反するものだったのです。ヤズィードは、これに違反することで政権を握った形となりました。ヤズィードは、政権を維持するためなら、最も明白な宗教の掟さえも無視し、歪曲してもよいと考えていました。彼は、イスラム教徒の上に立つ為政者としての資格がまったくなく、自分がイスラムに従っていないことを公然と示したのです。

モハッラム月、シーア派の英雄ホサインの抵抗の記念日

 

当時の社会に対するイマーム・ホサインの見解と決意

こうした中、イマーム・ホサインは暴君たちが宗教的な意図を以って人々を支配し、新たな政策によりイスラム以前の無明時代を復活させようとしていることに気づいていました。彼らは、神が合法と定めたものを違法とし、またその逆の事を行っていたのです。このため、イマーム・ホサインは暴君ヤズィードに反対し、抵抗する目的を次のように語りました。

“私は、イスラム共同体を改革するために立ち上がった。そして、よい事柄を奨励し、悪い行いを懲らしめ、預言者ムハンマドの示した道にそって行動しようと考えている”

イマーム・ホサインは、当時の為政者たちが正しい路線を進んでいないと考えていました。かつては、預言者ムハンマドといったこの上ない指導者の時代にあった社会が、今ではヤズィードのような腐敗した為政者の支配下に治められてしまっています。当時は、広大なイスラム圏のどこにも、公明正大さは存在しませんでした。ウマイヤ朝時代には、預言者ムハンマドが強く反対していた民族主義や人種差別が再びはびこり、時の経過とともに過去の伝統的な支配が社会の隅々にまで浸透していきました。こうして、イスラム世界は急速に本来のイスラムの教えから乖離していったのです。

モハッラム月、シーア派の英雄ホサインの抵抗の記念日

 

形骸化していた当時の宗教

同時に、預言者一門や一部の人物、そして預言者の教友たちは啓蒙活動に努め、当時のそうした風潮に対抗しました。しかし、相応しくない人物が支配者として君臨し、人々の考え方にマイナスの影響を及ぼしていたことから、イスラムの基本やその本来的な教えは、次第に孤立していったのです。例えば、預言者ムハンマドの時代には宗教、政治、社会的な運動の拠点であった、モスクなどの非常に重要な施設は、次第にその本来の役割を失い、個人的な宗教上の義務を行うだけの場となってしまったのです。

サウジアラビアのメッカやメディナ、シリアのダマスカス、イラクのクーファ、バスラなどの各地にあるモスクでは、宗教を名目とした儀式が行われていましたが、これらの儀式にはもはや精神性はなく、人々を欺き自らを偽るためのものに成り下がっていました。宗教的な行為は全て、影響力や効果を失っていたと言えます。一方、イスラム教徒たちも自分の身辺で起こっている政治的、社会的な出来事には無関心でした。一言で言えば、彼らは宗教の現実から遠ざかっていたと言えるでしょう。言うなれば、ウマイヤ朝はイスラムの表面的な体裁のみを維持し、内容を喪失させる目的と計画により発足したようなものです。こうした社会の変動により、人々は社会の動きに無関心になっていました。一部の社会的な指導者らでさえも、宗教的な問題に関心を持つのではなく、自らの物質的な目的のみを懸念する有様だったのです。

モハッラム月、シーア派の英雄ホサインの抵抗の記念日

 

イマーム・ホサイン、行動を起こす

こうした状況のもと、イマーム・ホサインのような人物は沈黙したままではいられませんでした。彼は、ヤズィードのような為政者の政治に沈黙することは、イスラムの滅亡につながる事を知っていたのです。ヤズィードは、あらゆる手段を尽くしてイマーム・ホサインに忠誠を誓わせようとしましたが、ホサインはこれを拒み、ウマイヤ朝の暴君を相手に戦うことを決意したのです。

イマーム・ホサインは、自らの運動を推進する中で、社会の上層部や一般の人々の啓発を強調していました。イスラム共同体の指導者の責務の1つは、社会に適切な見識を持たせ、人々の良心を目覚めさせることです。ホサインは、自らの政治闘争において、威信を追求し、卑劣なものを遠ざける精神を広めるとともに、人間としての尊厳や自由を強調していました。彼は、自らの抵抗運動のあらゆる段階において、この理念を人々に思い起こさせていたのです。

 

イマーム・ホサインはこうした原則を守ることで、イスラム共同体に英雄伝の精神や自尊心を復活させ、これを永久的なものにすることに成功しました。彼は人々に対し、決して圧制者に屈してはならないこと、人間の幸せのために定められ、服従すべきものは神の命令のみであることを語り聞かせたのです。ホサインは、自分独自の蜂起により、美しい現実を描きました。それは、暴虐や圧制、醜いものが人間社会を支配し、よい行いや美徳がかき消されている時には、宗教的な価値観を復活させるために、時には人命を犠牲にしてまでも立ち上がることが必要である、という概念なのです。

 

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