2019年09月09日03時28分
  • タースーアーからイマームホサインの蜂起まで
    タースーアーからイマームホサインの蜂起まで

シーア派3代目イマームホサインの圧制に対する蜂起は、西暦680年、イスラム暦61年モハッラム月10日(アーシュラー)、現在のイラク南部のカルバラで起こりました。この蜂起の背景には、数々の出来事が存在していました。

アーシュラーの日が近づくにつれ、圧制者ヤズィードの行動が、イマームホサインを歴史的な蜂起へと導いていました。アーシュラーの蜂起が起こるきっかけとなった最も重要な日のひとつが、その前日であるタースーアーの日です。

モハッラム月9日のタースーアーの日に、いくつかの重要な出来事が起こりました。

まず、ヤズィードの軍勢とイマームホサインの教友たちの間で戦いが起こり、和解と合意の道が閉ざされます。第二に、戦いは、翌日のアーシュラーの日も続くことが明らかになりました。シーア派6代目イマームサーデグは、タースーアーについて次のように語っています。

 

「タースーアーは、ホサインとその教友たちが、カルバラで包囲され、シャームの土地の軍勢が彼らと対決するために集結した日だった。ヤズィード側の人間たちは、それほどの軍勢が集まったことに喜んでいた。その日、ホサインとその教友たちは無力だと見なされ、彼らに援軍は届かず、イラクの人々も、彼を助けることはないと確信されていた」

タースーアー~イマームホサインの蜂起まで

イマームホサインは、ヤズィードに忠誠を誓うことを屈辱だと考えていましたが、流血や戦争を望んではいませんでした。一方で、ヤズィードの軍の司令官であったウマル・イブン・サアドは、イマームホサインの地位の高さを慮り、何とかイマームホサイン説得して、忠誠を誓わせようとしました。

 

イマームホサインは、ウマル・イブン・サアドと会見した際、彼の行いの結果について理解させ、預言者一門との戦いを断念させようとしました。しかし、ウマル・イブン・サアドは、ヤズィードに忠誠を誓うようホサインへの説得を続けました。

ヤズィードの軍の残忍な司令官、シェムルがカルバラにやって来たとき、衝突はいよいよ確実となりました。この司令官は4000人の兵士を引き連れていました。この不平等な戦いにおいてヤズィード軍は総勢2万人とも3万人だったとも言われています。

このような状況下、モハッラム月7日には、イマームホサインの一門とその教友たちに水が届かなくなっていました。タースーアーの日、イマームホサインの教友たちは完全に包囲され、援護が届く希望も断たれていました。

 

しかし、ヤズィード軍の司令官シェムルがカルバラに連れてきた兵士たちよりも重要なのは、クーファの為政者、ズィヤードが持ってきた書簡でした。この書簡の中で、ズィヤードは、ウマル・イブン・サアドに対し、ホサインに忠誠を誓わせることが出来なければ彼と戦うよう指示していました。また、ズィヤードは、もしこの指示を実行できなければ、軍司令官の地位を人物に委ねると、ウマル・イブン・サアドを脅していました。こうして、レイの統治権を失いたくなかったイブン・サアドは、イマームホサインの軍を攻撃する決定を明らかにしました。

 

シェムルがタースーアーの日に行った別の陰謀は、イマームホサインの軍の指揮官であったアッバースを、イマームホサインのもとから引き離そうとしたことでした。アッバースはイマームホサインの異母兄弟で勇敢な教友でもありました。彼がイマームホサインのもとを去ることは、蜂起に大きなダメージを与えるものでした。

 

シェムルは、悪しき目的を果たそうとしました。シェムルがアッバースを呼んだとき、アッバースは彼に返事さえしませんでしたが、イマームホサイン自身が、アッバースにシェムルのもとに行くよう求めました。

結局、シェムルの陰謀は失敗し、彼はアッバースとイマームホサインの間に溝を生むことへの希望を完全に失いました。

 

シェムルの陰謀が失敗したことで、ウマル・イブン・サアドは、タースーアーの日の夕方、軍の兵士に対し、戦いに備えるよう指示しました。イマームホサインは、敵が攻撃を仕掛けようとしていることを知ると、アッバースにこのように語りました。「可能であれば、戦いを明日まで延期し、今夜は神と語り合い、礼拝を行う機会を与えてほしいと彼らを説得してくれないだろうか」

 

イマームホサインの要求は理にかなったものでしたが、イブン・サアドは拒否しました。しかし、一部の司令官の意見により、戦いは翌日のアーシュラーの日の朝まで延期されました。その夜、イマームホサインの教友たちのテントの中は、精神性に溢れていました。そこには、死への恐怖や翌日の出来事に対する恐怖は微塵も存在しませんでした。イマームは再び彼らに向かって、「もし望むのであれば、夜の闇を利用してこの場を離れても一向に構わないのだ」と申し渡しました。しかし、教友たちは誰一人として逃げることはなく、神の道においてイマームとともに戦う決意を表明したのです。

タースーアー~イマームホサインの蜂起まで

 

モハッラム月9日の出来事の中では、アッバースが特別な役割を果たしました。そのため、この日は、彼の勇気と献身を称賛する日となっています。彼は蜂起のときだけでなく、幼少のころから、イマームホサインに特別な敬意を抱いていました。

 

アッバースは、父イマームアリーのもとで、兄弟のイマームハサン、イマームホサインとともに育ち、美徳や知識を備えていました。アッバースは勇敢な戦士だっただけでなく、敬虔で道徳的にも優れた人物でした。そのため、イマームホサインは彼に特別な敬意を払い、彼を信頼できる人物と見なし、軍の旗を彼の手に委ねていたのです。

 

アーシュラーの日は、アッバースの献身と勇気が示された日でした。彼はすべての場所に存在し、テントを守っていました。教友たちが一人ひとり、殉教していき、アッバースも戦場に赴き、殉教することを心待ちにしていました。

 

アッバースはイマームホサインのもとにやって来て、戦場に赴く許可を求めました。アッバースの存在の重要さを知っていたイマームホサインは、それを許可しませんでしたが、のどの渇きを訴える子供たちのために水を持ってくるよう頼みました。

 

この任務は非常に危険で困難なものでした。なぜなら、敵のおよそ4000人の兵士が、川の近くで待機していたからです。アッバースは、イマームホサインの命に反抗したことはなく、子供たちや女性たちがのどの渇きに苦しんでいることを知っていました。そのため、敵の兵士たちに攻撃をしかけ、水を取りに行くことに成功しました。

 

しかしアッバースは、戻る途中で大勢の敵軍に囲まれてしまいました。この勇敢な戦士は、敵の兵士たちの間をくぐりぬけ、全力で水の入った袋を守りました。そのとき、敵の一人がアッバースの右腕に剣を振りかざしました。その後、彼の左腕も剣で断ち切られ、最後のとどめを打たれ、アッバースは地面に倒れました。

 

遠くから、アッバースの献身を見ていたイマームホサインは、急いで彼のもとにかけつけ、アッバースの殉教に涙を流して言いました。「私の望みが絶たれてしまった」 この言葉は、アッバースがイマームホサインにとってどれほど大切な存在であったかを物語っています。

 

イスラム暦61年モハッラム月、特にアーシュラーの日の教訓は時代や場所を越えて、今もなお生き続けています。

 

圧制者に立ち向かい、真理と公正を求める人々の戦いは脈々と受け継がれているのです。

 

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