• イスラムと健康
    イスラムと健康

前回は、イスラムの教えから見た様々な食材の利用の必要性についてお話しました。

それでは、一体どのような時に食物を摂取すればよいのでしょうか?また、イスラムでは、1日に何回の食事を取ることが奨励されているのでしょうか?今夜は、前半でこれらの事柄について考えると共に、後半では心の健康を確立する上での親や教師の役割について考えることにいたしましょう。

 

栄養学の専門家は、いつ食事をとるかについて様々な見解を有しています。彼らの一部は、夕食を外すべきだとしており、また中には昼食をとらなくてもよいとする人もいます。しかし、いずれの説においても、朝食の重要性は強調されています。イスラムの教えにおいても、この点に関する様々な伝承が見られ、一部の伝承では、食事は1日に2回にすべきだとされています。これについて、シーア派6代目イマーム・サーデグは、次のように述べています。

“朝食と夕食をとり、その間には何も食べないようにしなさい。それは、体がだめになるからである。また、敬虔な人々は、食事を取るまでは外出すべきではない。なぜなら、食事をしてから外出することで、力を得られるからだ”

イスラムと健康

 

一部の伝承では、夕食をとるよう強調されており、イスラムの預言者ムハンマドは次のように述べています。

“決して夕食を抜いてはならない。私は、イスラム共同体が夕食を抜くことで老いることを懸念している。夕食をとることで、老いも若きもエネルギーが得られる”

この伝承について考えると、朝と夜の2回に食事をとることが強調され、その間に空腹を感じた場合には間食をとるべきだとされています。もっとも、ここで忘れてならないことは、イスラムの伝承では早寝早起きが強調されていることです。現代においては生活様式も変化し、夜遅くまで起きていることが多くなっているため、当然ながら朝食から夕食までの時間が長くなり、空腹を感じることになるでしょう。

 

これらの伝承のほかにも、食事を取る目安は空腹感や食欲の有無だとして、健康な人は空腹を感じるまでは食事を取らないものだとする伝承も見受けられます。これについて、シーア派初代イマーム・アリーは、息子の2代目イマーム・ハサンに対し、次のように述べています。

“空腹を感じたとき以外は、食事の席に着いてはならない。これを実行すれば、医者にかかる必要はなくなる”

 

イスラムと健康

 

イスラムは、節度を守る中庸な宗教であり、極端さややりすぎを戒めています。食べすぎや、極度の節食が体の健康に弊害をもたらすことは言うまでもありません。シーア派8代目イマーム・レザーは、人間の体を大地にたとえ、次のように述べています。

“人間の体は、作物を植える用意の出来ている清らかな大地のようなものである。灌漑により大地に適切な量の水を与え、手入れをすれば、その土地は常に繁栄する。だが、これを怠れば、大地は荒地と化し、雑草がはびこるようになる。人間の体もまさにそれと同じである”

神は、コーラン第7章、アル・アアラーフ章、「高壁」第31節において、次のように述べています。

“飲み、食べなさい。だが節度を超えてはならない。神は、節度を超える者を愛されない”

 

浪費や極端に走ることは、神の恩恵や人類の資本の喪失を招き、社会の一部の人々がそれらを利用できなくなる原因となります。浪費の典型的な例の1つは暴飲暴食です。飲みすぎや食べすぎにより、富や財産が失われ、恵まれない人々にそれらが行き渡らなくなるだけでなく、健康にも弊害が及びます。現代では健康の秘訣が飲食において節度を守ることであることが医学的に証明されていますが、イスラムの聖典コーランは、それよりもはるか前にこのことを解明していたのです。

 

8世紀から9世紀にかけてのアッバース朝の為政者ハールーン・アッラシードには、腕のよいキリスト教徒の侍医がいました。ある日、この侍医はイスラム教徒の学者の1人に向かって、次のように述べました。

「私の見たところ、あなた方の宗教書には医学に関する事柄が記されていないようだ。だが、有益な知識には、宗教学と医学の2つがある」

これに対し、ハールーン・アッラーシードは次のように答えました。

「神は、医学的な教示内容の全てを、その聖典の中の章句の半分に盛り込んでいる。それは、飲み、食べなさい。だが節度を超えてはならない、というものである。私たちの預言者も、医学をこの指示に集約している。それは、全ての病気が宿るところは胃であり、節制は最も優れた薬である、というものだ」 

これを聞いたキリスト教徒の侍医は感嘆し、「あなた方の宗教書であるコーランと預言者は、ローマ帝国の医学者ガレノスよりもはるかに優れている」と述べたといわれています。

 

神は、コーランにおいて、節度を守り中庸であるよう心がけ、飲食をしてもよいが暴飲暴食をやめるよう命じています。また、神の預言者も、人間には起立した状態を維持できるくらいのエネルギーの食物で十分であるとしています。さらに、8代目イマーム・レザーも、人間が食物の摂取において節度を守れば、その人の体もバランスのとれたものになる、と述べています。

 

ここからは心の健康の増進に親や教師が果たす役割についてお話することにいたしましょう。

 

精神の健康

 

これまでの番組では、精神の健康について触れ、それが健康な心なくしては確立しないことについてお話しました。神への信仰心のもとで健康な心を持った人は、安らぎと希望に満ちた状態で、人生の現実を捉えます。また、こうした人は過去を悔やまず、また未来を恐れることなく、現在を精一杯生きるのです。

神を素直に信じる、健康な心を持つ人は、日常生活のすべての出来事を、神の意思によるものであると見なしており、あらゆる困難や問題を、大きなチャンスと捉えます。精神面での健康に恵まれている人は、仮に困難に遭遇したり、難病にかかったとしても落ち込むことはなく、また他人を妬まず、他人への復讐心を抱くこともありません。そのような人はまた、他人に怒りを覚えることがなく、神の慈悲に望みをかけており、神の思し召しが適切であることを信じて困難に耐えるのです。

 

人間は、遺伝的な要因、或いは不適切な環境や自らの好ましくない生活習慣の影響などにより、病気にかかることがあります。この場合、病気に罹った本人が将来に不安を抱いたり、健康を失ったことを嘆くなら、身体面での病気に加えて心の病気という苦しみにも耐えなければなりません。精神面での健康を失った人は、自分が神に見放され、神の哀れみなど得られないという失望感にさいなまれます。このような感情や、現在あるがままの自分への不満は、過去に対する嘆きや妬みを引き起こし、その結果未来への不安や恐れにつながります。

このような精神状態が癒されない場合、その人は恐れや悲しみにより防衛手段としての怒りや興奮状態に陥り、他人への侮辱や嘲笑、衝突、さらには自傷行為に走ります。それは、自分の内面に潜んでいる怒りの感情が、次第に嫌悪感を形成し、これが他人への復讐心となるからです。この場合、自分や他人に危害を加える可能性が何倍にも高まります。

 

イスラム教徒の医学者や心理学者は、健康な心を持ち、精神面での健康を手に入れるには、病気を未然に防ぐ一次予防を真剣に捉えるべきだと考えています。その次の2次予防は、病気が進行しないうちに治療をすることであり、早期発見、早期治療として注目されています。心と体の全てを視野に入れた健康全体において何よりも重要なことは、言うまでもなく一次予防です。それは、一次予防により身体や精神の病気にかかりにくくなるからです。

 

このため、結婚前、そして妊娠中に始まり、子どもが幼い時期の父親と母親の精神面での健康は、極めて重要となります。それは、精神的、社会的な病気の多くが、非常に重要なこの時期に発生するからです。シーア派初代イマーム・アリーは、遺言書のはじめに、子どもたちに対し次のように述べています。

“子どもの心は、まだ何も植えられていない大地のようなもので、そこに蒔かれたどのような種子をも受容する下地が整っている。これゆえ、私はお前たちの心がまだ柔らかく、他のことで一杯になっていないうちにお前たちを教育した。それは、過去に豊かな経験を積んだ人々が、数々の試練をのりこえて、努力によって獲得した事柄を大切にしてほしいからだ”

 

85歳になるある賢者は、次のように語りました。

「私は幼い頃、世界を変化させたいと考えていた。成長するにつれて、自分の国を変えたいと思うようになった。だが、さらに年を重ねるごとに、自分の住む町を変化させたいという気持ちに変わっていった。そして今や私は、自分自身が変わり、自らを改めれば、自分の家族や自分の住む町や国、そして世界を変化させていたのだと気づいたのだ」

しかし、自分を変化させて精神的な健康を手にすることは、容易いことではありません。心の健康を得るためには、弛まぬ努力が必要です。健康な子どもを持つためには健康な遺伝子が必要であると同様に、子どもの精神面での健康を語るには、まず親が自らの性格や気質を修正し、良い側面を増やし、悪い側面を切り離していく必要があります。子どもの親に高潔な精神が備わって初めて、自分の子どもたちに自らが持つよいものを伝えていくことができるのです。

 

2017年08月17日23時15分
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