2019年05月11日23時30分
  • 聖典コーラン
    聖典コーラン

今回は、コーラン第6章、アル・アンアーム章家畜についてお話しましょう。

「慈悲深く、慈愛あまねき、神の御名において。称賛は、天と地を創造され、光明と暗闇を作られた神のためのものである。だが不信心者たちは、自らの神に別のものを配する」

 

アル・アンアーム章は、全部で165節あり、メッカで預言者ムハンマドに下されました。メッカで下された章は大抵、信条の原則について語っています。この章は、コーランの6番目の章で、メッカにおいて、多神教徒たちが、イスラムの預言者ムハンマドの導きに頑なに抵抗し、それを否定していた状況の中で下されました。そのため、この章が、他のメッカで啓示された章と同様に追求している主な目的は、唯一神の信仰、預言者ムハンマド、そして復活というイスラムの3つの原則へといざない、イスラムの信条の基盤を説明することです。

 

アル・アンアーム章の内容は、何よりも、世界を創造し、それを管理する神の唯一性を照明する、ということに関するものです。この章の目的は、多神教信仰や偶像崇拝と闘うことであり、この章の多くの節は、多神教徒や偶像崇拝者に語りかけるものとなっています。いずれにせよ、生き生きとした明らかな論証を織り交ぜている、この章の節を読み、考えれば、人間の中に、唯一神信仰の精神が蘇り、多神教信仰の基盤は崩れ去るでしょう。興味深いのは、アル・アンアーム章が、夜に、カアバ神殿の近くで、一度に、イスラムの預言者ムハンマドに下され、それが下された際には、7万の天使たちが神を称賛したと言われていることです。

 

アル・アンアーム章は、第5節以降で、偶像崇拝者や多神教徒を目覚めさせるために、様々な点を提起しています。まず、人間の逸脱や反抗の最大の要因となる、利己主義や高慢さを打ち砕くために、過去の民の状況と、彼らの結末について述べ、このような人々に警告を与えています。第5節と6節には次のようにあります。

 

「彼らは見なかったのか。我々が彼ら以前に、どのような民を滅ぼしたかを。それらの民に、我々は地上で、あなた方には与えなかったような様々な可能性を与えていた。例えば、彼らのために、次々と恩恵に溢れた雨を降らせた。また、彼らが利用できるように、彼らの[住む場所の]下に小川を流した。[だが、彼らが反逆の道を取ったとき、]その罪のゆえに、我々は彼らを滅ぼした」

 

このように、人々は、過去の民が辿った運命について研究し、そこから教訓を得て、怠惰の眠りから、目を覚まさなければなりません。

 

コーランは、利己主義や頑なさから、真理を否定する人々を目覚めさせるため、人々に対して、地上を旅し、他の人々の状態について考え、真理を否定した人々がどのような結末を見たかを、その目で確かめるように勧めています。第11節には次のようにあります。

「言え、『大地を旅し、それから見るがよい。神の節を否定していた人々の結末が、どのようなものであったかを』と」

明らかに、真理を否定したために消滅していった過去の民たちの痕跡を見ることは、教訓となります。なぜなら、そのような痕跡を見れば、人間にとって、真理が具体的かつ明らかになるからです。

 

 

アンアームとは、家畜を意味します。この章がアンアームと名づけられたのは、家畜について述べられているためです。第136節から145節までは、無明時代のアラブ人の、家畜に関する誤った風俗や慣習、例えば、偶像のために家畜を生け贄に捧げる、あるいは、動物の肉に関する逸脱した考え方、その他、無知や迷いからくる同様の問題について述べています。

 

あらゆる民族は、自らの要求や望みに従って様々な戒律や決まりを制定し、それに基づいて、一部の好ましい事柄を自分たちに禁じたり、反対に、一部の醜い行いを合法としたりしてきました。そのような事柄が、人類社会に少なからず悪影響を及ぼしており、その数々の例を、今日の社会、特に西側諸国に見ることができます。例えば、同性愛者の結婚、結婚していない男女の同棲などが、それに相当します。そのため、宗教の思想家たちは、人類のためになるような法やおきてを定めることができるのは、神のみであるとしています。なぜなら、神は全てのもの事に精通しており、人類にとって良いこと、細かい事柄まで知っており、あらゆる欲望から解き放たれているからです。

 

動物についても、イスラムの教えによれば、動物をはじめとする世界のすべての存在物は、目的を持って創造されています。動物は、それぞれが自然の中で何らかの役割を担っています。コーランの動物に関する見方、動物たちの創造、性質、人間に利用される際の役割についての見方は、思想家の注目を惹きつけています。

 

僕たちに対する神の特別な慈悲の一つは、人間を導き、彼らを無知や迷いの暗闇から解放するために、啓典と共に預言者を遣わしたことです。アル・アンアーム章は、その事実に触れ、「コーランは神の啓示であり、暗闇を明るく照らす導きの光りである」としています。コーランは、人類の変遷の中で、重要な役割を果たし、人間の道徳と文化を向上させました。コーランが下されてから1400年以上が経ち、科学は進歩して未知の事柄が次々に解明されてきました。そうした中で、コーランの奇跡はこれまで以上に明らかになっており、人類は日々、この書物に関して新たな事柄を発見しています。

 

イブラヒームという人物は、神の預言者たちの父であり、唯一神信仰を守り、偶像崇拝や多神教信仰と闘うために立ち上がり、創造世界や天に関して深く考え、対話によって、自らの民に、彼らの考え方がいかに堕落しているかを説き、彼らを正しい道に導こうとしました。アル・アンアーム章第75節から79節は、唯一神信仰を定着させるためのイブラヒームの確かな論証の一つを説明しています。

 

「このようにして、我々は天と地を支配する権力をイブラヒームに示した。人々に確信させるために」

 

世界が夜の暗闇に包まれたとき、星が見えました。イブラヒームは言いました。「これが私の神なのか?」 しかし、星が地平線に姿を消したとき、イブラヒームは確信を持って言いました。「私は沈んでいくものを愛さない。それらを崇拝に値するものとは考えない」 そうしてイブラヒームは、再び空を見上げました。今度は、銀のように輝く月が、天に現れました。月を見たとき、イブラヒームは言いました。「これが私の神のなのか?」 しかし、月も星と同じように、地平線に消えて見えなくなりました。好奇心の旺盛なイブラヒームは言いました。「もし主から導かれなければ、私は道に迷う人の仲間になるだろう」 そのとき、夜が明け、太陽が東の空から、山と平原の上に顔を覗かせました。イブラヒームは、その強い光りを見るなり、言いました。「私の神はこれである。これは何よりも大きく、光り輝いている」 しかし、太陽も地平線に沈み、イブラヒームは自分が本当に言いたかったことを口にしました。「人々よ、私はあなたたちが神と同等に配する、これら全ての崇拝の対象を好まない」

 

アルアンアーム章の第79節には次のようにあります。エ「私は天と地を創造した方の方を向く。私は自分の信仰に誠実であり、多神教徒ではない」

明らかに、イブラヒームは、本能的にも、また理性的にも、神の唯一性を確信していましたが、創造の神秘について調べていくことにより、その確信は頂点に達しました。神は、アル・アンアーム章第161節で、イブラヒームの確かで正しい教えと唯一神信仰を描いています。

 

「言え、『私の主は、私を、正しい道、確かな教え、イブラヒームの教えへと導いた。それは、周囲の逸脱した教えに背を向けた多神教徒の一人ではなかった、イブラヒームの教えである』」

 

世界の創造主である神は、預言者に対し、第162節と163節で次のように語っています。

「言え、『まことに、私の礼拝、私の生と死は皆、世界の創造主である神のためのものである。神に同等の者はいない。そのため私は任じられた。私が最初のイスラム教徒の一人である』と」

 

 

この章の節は、啓示や預言者の使命、復活、来世、人間に課された試練、創造の神秘、善行、人々の権利の実現、商売ではかりを用いる際の公正、神の性質、その他多くの問題について触れています。

 

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