2019年05月11日23時30分
  • 聖典コーラン
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今回も、コーラン第7章アル・アアラーフ章高壁についてお話しましょう。

前回の番組では、アル・アアラーフ章高壁についてお話しました。この章は、コーランでは7番目の章で、下された順番では39番目にあたり、メッカで啓示されました。この章は、アレフ、ラーム、ミーム、サードというアラビア語のアルファベットで始まり、神秘文字が置かれた章のひとつとされています。

 

「アーダムの子孫たちよ、モスクに行くときには自らの飾りを持ち、食べ、飲みなさい。浪費してはならない。神は浪費する者を愛されない。言え、『神が僕たちのために創造された装飾、清らかな日々の糧を誰が禁じたのか?』」

 

今お聞きいただいたのは、アル・アアラーフ章の第31節と32節です。コーランの章は、それぞれが、熟考に値する独自のメッセージを持っています。例えば、今お聞きいただいた節は、人々に対し、清潔な衣服と清らかな食べ物を利用するように求めています。この節で飾りと言っているのは、肉体的な飾りのことで、つまり、清潔な衣服を着ること、香水をつけることなどを指します。また、そこには精神的な飾りも含まれており、それは、清らかな性質や道徳を意味します。しかし、人間は多くを望む性質を持っているため、この2つの指示を曲解し、衣服や栄養について節度を守る代わりに、浪費や過度の装飾に走る可能性があります。そのためこの節は、すぐ後にこう付け加えています。「だが、浪費してはならない。神は浪費する者を愛されない」 浪費という言葉には包括的な意味がこめられており、すなわち、節度を超えることを意味します。

 

コーランは、人間に、この世の創造の恩恵や装飾を利用するよう勧める際、悪用を防ぎ、中庸を守るよう勧めています。イスラムでは、こうした場合に中庸を守るべきだとし、装飾を一切、利用しないことや、反対に、様々な装飾や華やかさに溺れ、その中で、不適切な行動に陥ることも否定しています。

 

人間の肉体と精神の構造に注目して、イスラムの教えは、その特徴に調和したものになっています。心理学者は、「美しさを愛するのは、人間の精神的な側面の一つだ」と考えています。彼らによれば、文学、詩、芸術のあらゆる美しさは、人間の中にあるこのような感情を示しています。イスラムは、人間の美しさを愛する特徴に注目し、それを人間の性質に沿ったものと見なしています。そのため、このような人間の本来持つ感情を満たすために、美しい自然、適した美しい服装、香水を利用することを合法としているだけでなく、それを勧めてもいるのです。シーア派2代目イマーム、ハサンは、礼拝に立つとき、最高の服を身に纏っていたと言われています。イマームハサンは、その理由を尋ねられたとき、このように答えています。

 

「神は美しく、美しさを愛される。そのため、神と語らいあうために、私は美しい服を身につける。神は、モスクに行く際に飾りを持つよう命じられている」

 

「食べ、飲みなさい。だが浪費してはならない」 この言葉は、この節の中で、単純でシンプルな言葉のように見えますが、衛生面での重要なメッセージを含んでいます。今日、様々な研究から、多くの病気の根源は、栄養の取りすぎ、つまりは食べすぎにあるということが分かっています。過剰な栄養は体内に蓄積されます。それらが心臓や他の器官に負担をかけ、様々な病気の原因になります。このように、コーランは総体的な教えの中で、食事において節度を守ることが必須だとしています。イスラムの預言者ムハンマドは、次のように語っています。「胃はあらゆる病気のすみかであり、節制は最高の薬である」

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アル・アアラーフ章の第158節は、イスラムが世界的なものであることを提起し、預言者の世界的な導きを示しています。言い伝えには次のようにあります。ユダヤ教徒たちがイスラムの預言者の許にやって来て、こう言いました。「あなたは自分が神の使徒で、ムーサーと同じように、あなたにも啓示が下ると考えているのか?」 ムハンマドは少し考えてから言いました。「その通り。私は神から遣わされる最後の預言者であり、世界の人々の主の使徒、敬虔な人間の指導者である」 ユダヤ教徒たちは続けて、預言者にこのように尋ねました。「あなたは誰のために遣わされたのか? アラブ人か、それともそれ以外の人々、あるいは私たちのためか?」 そのとき、アル・アアラーフ章高壁、第158節が下され、神はその中で、世界の全ての人々のためのイスラムの預言者の使命をはっきりと宣言しました。

 

「言え、『人々よ、私は、あなた方全ての許に遣わされた神の使徒である。天と地の統治は神のものである。神以外に崇拝の対象はない。神は蘇らせ、死なせる方である。そこで、神とその使徒に信仰を寄せなさい。その預言者は読み書きができないが、神とその言葉を信じ、神に従う。導きを受けるために』」

 

 

「私はあなた方全ての許に遣わされた神の使徒である」 この言葉は、コーランの他の多くの節と同じように、イスラムの預言者の呼びかけが世界的なものであることを物語っており、この導きが、特定の民族や集団に限られたものではないことを示しています。この節は世界の全ての人々に向かって、神とその使徒を信じるよう求めています。預言者は、他の人々をこの真理に導くだけでなく、自分もまず、自分が語る事柄と、自分に下された神の節を信じています。この預言者の信仰は、彼の正当性を証明しており、彼の言葉が真実であることを示しています。導きの光りを心にともし、幸福の道を歩みたいと望む人は、この偉大な預言者に従うべきなのです。

 

アル・アアラーフ章の第201節では、敬虔な人々について、興味深い点が指摘されています。すなわち、敬虔な人間は、神の恩恵によって洞察力を得、悪魔の誘惑から解放されるとしています。

 

「敬虔な人々は、悪魔に誘惑された際、[神のことを]想い起こし、[それによって真理の道を目にし、]目が見えるようになる」

 

 

この節に出てくるアラビア語のターイェフという言葉は、神の家、カアバ神殿を回る人々のことを指します。悪魔の誘惑は、カアバ神殿の回りを回る人々のように常に、人間の考えや真理の周りを徘徊し、入り込む隙を狙っています。敬虔な人々は、どのような方向から悪魔の誘惑に襲われた際にも、神とその無限の恩恵のことを思い出し、自分の行いについて深く考えます。そのとき、神の恩恵により、誘惑の雲は、彼らの心の周りから散っていきます。その結果、真理の道がはっきりと見えるようになり、洞察力を手に入れるのです。「神を想い起こした際に、彼らの目が見えるようになり、真理を目にする」という言葉は、悪魔の誘惑が、人間の心の視界を遮り、道と落とし穴、善と悪を見分けることができなくなる、という事実を示しています。しかし、神のことを想い起こすことで、人間は見る力を得、真理を知る力が与えられます。その結果、悪魔の誘惑から解放されるのです。

 

宗教学者によれば、どのような社会的状況にある人、どのような年齢の人でも、悪魔の誘惑に陥る可能性があります。時にその人自身が、内なる強い力によって、罪へとひきつけられるのを自覚することがあります。明らかに、腐敗や堕落が見られ、多くのプロパガンダ機関が、道徳に反する事柄を広めている今日の社会では、このような悪魔の誘惑が増えています。

 

このような時代において、堕落や穢れから解放される唯一の方法は、敬虔さという武器を身につけることです。敬虔であることや慎重であること、神に加護を求めること、過ちを犯した人たちの教訓に満ちた運命について考えること、これらは、悪魔の誘惑に抵抗する力を高めます。多くの伝承でも、悪魔の誘惑を追い払う際、神の名を唱えることがいかに効果的であるかが指摘されています。明らかに、人間の抵抗力が弱ければ、悪魔の誘惑に負け、罪を犯してしまいます。そのため、専門家は、悪魔の誘惑を、人間の体が弱った際に入り込む隙を狙う病原菌になぞらえています。健全で力強い肉体を持つ人々は、こうした細菌を遠ざけますが、弱い人は病気にかかりやすいのです。敬虔な人間も、神の名を唱え、そうして得た力により、悪魔の誘惑に抵抗しますが、罪に穢れた人は、悪魔の誘惑に陥るのです。

 

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