2019年05月15日04時30分
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今回は、コーラン第9章アッタウバ章悔悟についてお話ししましょう。

慈悲深く、慈愛あまねき、神の御名において

以前にもお話ししたように、コーランの全ての章は、1つの章の例外を除いて、「慈悲深く、慈愛あまねき、神の御名において」という言葉で始まっています。コーラン第9章アッタウバ章悔悟は、この言葉が章の最初で読まれていない唯一の章です。今回は、このアッタウバ章についてお話ししましょう。コーラン解釈者によれば、アッタウバ章は初めに、約束を破る敵たちに嫌悪をあらわし、彼らに厳しい態度を取るよう宣言することで、敵たちに対する神の怒りを示しています。そのため、神の慈悲と愛情を示す、「慈悲深く、慈愛あまねき、神の御名において」という言葉は使われていないのです。

 

アッタウバ章は、イスラムの預言者ムハンマドが亡くなるおよそ1年前のイスラム暦9年に下されました。コーラン解釈者たちは、この章には数多くの名があるとしていますが、中でも最もよく知られているのが、嫌悪と悔悟です。嫌悪という名は、約束を破る多神教徒に対する神の嫌悪によって、この章が始まっているためにつけられました。一方で悔悟という名は、この章で繰り返し、罪を悔い改めること、つまり罪の悔悟について語られているために、つけられています。

 

この章は、イスラムがアラビア半島に広まり、多神教徒の抵抗が崩れた後に下されたため、その内容は、特別な重要性を有しています。この章の重要な部分は、多神教徒と、彼らとの関係の断絶、イスラム教徒が彼らと交わした約束の破棄について語られている部分です。しかし、イスラムが広まった後、一部の人々は自分たちの方向性を変え、イスラム教徒の仲間になるふりをしながら、イスラムにダメージを与える機会を狙っていました。この章の一部の節は、こうした偽善者たちと、彼らの行動について語っており、彼らがいかに危険な存在であるかを警告しています。この章では、神の道における戦い・ジハードと、イスラム教徒の連帯と団結の必要性に触れ、様々な口実でジハードを避けようとする人々を非難しています。ザカートと呼ばれる喜捨と富の集中の回避もまた、この章で語られている事柄です。

 

イスラム暦8年にメッカを征服した後、イスラムの預言者ムハンマドは、人々への恩赦を指示しました。そのためメッカの多神教徒たちは、この町での生活を続け、自分たちの宗教儀式を行っていました。彼らの一部は、はだしで神の家の周りを回っていました。多神教徒の迷信的な儀式は、イスラム教徒にとって耐えられないものでした。彼らは神の命を待っていました。こうして、メディナでアッタウバ章の最初の節が下され、預言者は、後にシーア派初代イマームとなるアリーに、神のメッセージをメッカの人々に伝える役目を任せました。

 

アッタウバ章の第1節から3節には、次のようにあります。

「これは、彼らが約束を交わした多神教徒に対する神と預言者の嫌悪の表明である。それでも、あなたがたは4ヶ月の間、大地を旅する[猶予が与えられている]。[どこでも好きな場所に行き、考えるがよい。]覚えておきなさい。あなた方は神を無力にすることなどできない。神は不信心者を卑しめられる。これは神とその預言者が、偉大な巡礼の日に、人々に伝える宣言である。神とその預言者は、多神教徒を忌み嫌っていると。それでもなお、罪を悔い改めれば、それはあなた方のためである。もし背くのならば、覚えておくがよい。あなた方は神を無力にすることはできない。不信心者たちに、痛ましい懲罰を知らせなさい」

 

この章の第1節は、多神教徒に対し、イスラム教徒と交わした全ての契約の破棄を宣言し、このように語っています。「これは、約束を交わした多神教徒に対する神とその預言者の嫌悪の宣言である。それから、彼らには4ヶ月間の猶予が与えられ、その間はどこでも好きな所に自由に行けばよいが、それが終わった後、状況は変化する」

 

ところで、コーランは、多神教徒との約束を一方的に破棄するよう指示しているのでしょうか?この章の第7節と8節にあるように、この約束の破棄にはきっかけがありました。約束違反が明らかになり、多神教徒たちは、状況さえ整えば、約束を無視してイスラム教徒にダメージを与えようとしていました。もちろん、敵が約束を破ろうとしているときには、それを不意に破られる前に、約束を破棄し、敵たちと対峙した方が賢明です。明らかに、イスラムは、約束を守ることを強く勧めていますが、その原則は、相手側もまた、約束を守り、侵略を考えていないときに有効です。

 

いずれにせよ、多神教信仰と偶像崇拝の痕跡をイスラム社会から消すことは、非常に重要な問題でした。過去の約束の破棄と嫌悪を宣言した後、神はメッカの多神教徒に、熟考のために十分な期間として、4ヶ月の猶予を与えています。彼らはこの間に、イスラムを受け入れ、無知と後進性の源である偶像崇拝の儀式を捨てるか、それとも、メッカを離れて戦いに向けた準備をするかの選択を下す必要がありました。なぜなら、唯一神信仰の拠点における誤った行いは、イスラム社会の規則には即していなかったからです。

 

重要なのは、多神教徒との約束の破棄は、突然に行われたものではなく、彼らには猶予が与えられ、犠牲祭の日に、神の家の傍らで、そのことが全ての人に伝えられました。道徳的な原則の遵守がなかったら、戦う準備をさせないようにするため、彼らに猶予が与えられることはなかったでしょう。それどころか、約束が一方的に破棄され、彼らへの攻撃が行われ、破滅に追い込んでいたことでしょう。しかし神は、メッカの地で、それも偉大な日に、人々にそれを宣言し、敵の、「自分たちは卑怯にも突然、攻撃された」などという口実を与えないようにしました。興味深いのは、偶像崇拝者の多くが、この4ヶ月という猶予を利用し、イスラムの教えを研究することで、イスラムに帰依したことです。もちろん、約束を破らなかった多神教徒たちは、その対象からは外されています。

 

アッタウバ章の第4節には次のようにあります。

「あなた方と約束を交わし、それを破ることなく、あなた方に対する連帯を強化しなかった多神教徒たち、彼らとの約束は、その期間が終わるまで尊重しなさい」

 

また、第17節には次のようにあります。

「多神教徒たちには、自らの不信心を証言しているというのに、神のモスクを繁栄させる権利はない。彼らの行いは消滅し、永遠の業火の中に留まる」

 

多神教徒との約束が破棄された後、一部の人々は、モスクを繁栄させるために、多神教徒や彼らの財産を使うべきだと考えていました。こうした人々は、これほど多くの人々を遠ざけるべきではないという意見でした。なぜなら、メッカ巡礼の儀式への彼らの参加は、あらゆる面で、繁栄の源であるからです。また、彼らの資金援助によって、マスジェドルハラーム、カアバ神殿の建物も繁栄します。しかし神は、多神教徒によるモスクの繁栄を不当なものとし、彼らによるマスジェドルハラームの再建と神の家の周りにおける集合には、何の価値もないとしています。神は清らかな存在であり、神の家も、清らかに保たれなければなりません。そのため、モスクを守る人々も、最も清らかな人々の中から選ばれるべきであり、神の家やモスクへの穢れた要素の関与は断ち切られなければなりません。

 

イスラムは、善い行いは、信仰という木の清らかな果実だとしています。行動は、人間の信条や目的を映し出すものであり、その色や形を帯びるものです。穢れた目的から、有益な果実が実ることはありません。モスクやイスラムの聖地も、神と復活の日を信じ、礼拝を行い、喜捨を施し、神以外の者を畏れないような、清らかな人々によって守られたときに、最高の人間形成の場所となるのです。

 

アッタウバ章の第36節には次のようにあります。

「天と地が創造された日から、神の書物に記された月の数は、12ヶ月である。そのうち4ヶ月は、ハラーム・禁じられる月である」

 

1ヶ月とは、月が地球の周りを完全に回り終える周期であり、それは1年の間に12回、繰り返されます。これは貴重な自然の暦であり、変化することはありません。そして、人間の生活に自然の法則を与え、人間の暦を正確に作り出すものです。イスラムでは、ハラーム・禁じられる月が定められており、そのうち3ヶ月、つまり、ゼルカアダ、ゼルハッジャ、モハッラムは、(3ヶ月)それぞれの後に続いていますが、ラジャブ月だけは離れています。

 

イスラムは、ハラームの月を紹介することで、実際、停戦を宣言しています。この4ヶ月の間に戦いが禁じられているのは、長期に及ぶ戦争や暴力を終わらせ、和平と平穏を呼びかけるためのものです。1年のうちの4ヶ月、剣の交わる音や砲弾の音が消え、熟考のための機会が現れるとき、戦争が終わる可能性が高まります。とはいえ、敵がこの法則を悪用し、ハラームの月の神聖を侵害しようとした際には、イスラム教徒も、それに対抗措置を取ることが許されています。

 

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