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今回は、コーラン第72章アル・ジン章ジンについてお話ししましょう。

慈悲深く、慈愛あまねき、神の御名において

 

アル・ジン章はメッカで下され、全部で28節あります。

 

アル・ジン章は、主に、ジンという名の目に見えない存在について話しています。ジンがイスラムの預言者を信じていること、ジンの中にも敬虔なジンと不信心なジンがいること、その他、それに関連する一部の問題が述べられています。28節からなるこの章のうちの第19節は、この問題について述べており、ジンに関する迷信的な多くの考え方を否定しています。またこの章の別の部分では、唯一神の信仰、復活、目に見えない事柄への知識について触れています。

 

アル・ジン章の第8節は、イスラムの預言者ムハンマドが出現し、彼に天啓の書が下されたことにより、世界に大きな変化が起こったと述べられています。例えば、ジンたちが盗み聞きをすることが禁じられました。敬虔なジンは、そのことに触れ、次のように語っています。

 

「また私たちは天に近づき、それが強い護衛や流れ星であふれているのを悟った。私たちはそれまで、[天において、天のことを]聞くための場所に座っていたが、今、盗み聞きをしようとする者がいれば、流星に狙われるだろう」

 

イランの偉大なコーラン解釈者であったアッラーメ・タバータバーイー師は、この節について次のように説明しています。「天使たちの場所である天が指しているのは、超自然的な世界であり、この現実の世界よりも優れている。また悪魔たちが盗み聞きをするためにこの天に近づき、それらに流星が降るというのは、彼らは天使たちの世界に近づき、それらの秘密や未来の出来事について知ろうとするが、天使たちが悪魔たちには耐えられないような精神的な光によって、悪魔たちをそこから追い払うことを意味している」

 

無明時代、占い師たちは、ジンの一団を通して、様々な出来事を知り、盗み聞きをすることで、人々を正しい道から迷わせていました。いずれにせよ、敬虔なジンたちは、イスラムの預言者の出現と同じ時期に起こった、盗み聞きの禁止は、人間が導かれ、占いによる予言や多くの迷信が取り除かれるための前段だということを悟りました。実際これは、無明時代の終わりと、新たな光明の時代の始まりの宣言を意味するものであったのです。

 

また、ジンにも人間のようにさまざまなグループがいます。彼らの一部は善良ですが、一部は堕落しています。アル・ジン章の第11節はジンの言葉として、このように語っています。

 

「また、私たちの中には善良なものもいれば、そうでないものもいる。私たちはさまざまなグループに分かれている」

 

この節から、ジンも人間と同じように自由な意思を有しており、ジンを導く土台が存在することが分かります。敬虔なジンは、他のジンに警告しています。アル・ジン章の第12節には次のようにあります。

 

「また、私たちは地上において、神を無力にすることなどできないこと、神の支配から逃れることなどできないことを知っている」

 

このように、打ち勝つことも、逃げる道もないとき、神の命に服従する以外に方法はなく、神の公正を逃れることはできません。ここでジンたちは次のように語っています。「コーランの導きを聞いたとき、私たちはそれに信仰を寄せた」。とはいえ、誰でもその主に信仰を寄せれば、神の報奨を恐れることも、また圧制を恐れることもありません。なぜなら、大小のどのような行いをしたとしても、その報奨を過不足なく受け取ることになるからです。

 

敬虔なジンたちは続けて、次のように語っています。

 

「また、私たちの一部は信者であり、一部は圧制者である。誰でもイスラムを信じる者は成長の道を選んだが、圧制に走り、正しい道を逸脱したものたちは、地獄の薪となる」

 

これらの節で注目すべきなのは、イスラム教徒、信者が圧制者の対極に置かれていることです。それは、人間を圧制から防ぐのは、信仰であること、信仰のない人間は圧制にけがれてしまうということを指しています。また、敬虔な人間は、決して圧制にけがれることはないということを示しています。

 

アル・ジン章の第25節から27節は、神は目に見えない事柄もすべてご存知だという事実に触れています。コーランは、復活の日が訪れ、その日、不信心者や罪を犯した人々は、その行いの報いを受けるとしています。“この約束はいつ果たされるのか”という疑問に対し、コーランは次のように語っています。

 

「言え、私にはあなた方に約束されたことが近いのか、それとも私の主が、その期間を長く据えているのかは分からない。彼は目に見えない事柄を知っておられ、誰にもそれらのことを知らせない。ただし、自身が遣わした使徒たちを除いては」

 

目に見えない事柄の知識について述べている節には、2つのグループがあります。一つ目は、目に見えない事柄に関する知識を持つのは神のみであるとし、神以外の者はそのような知識を持たないとしている節です。これらの節によれば、目に見えない事柄に関する知識は、神の清らかな本質のみのものであり、神は、そうした事柄を僕たちには隠したままにし、僕たちの試練の問題を完成させようとしています。二つ目のグループは、神の使徒たちはある程度、目に見えない事柄について知っており、神はその一部を、自分が遣わした使徒たちに教えていたということを示しています。

 

原則的に、預言者たちに下される啓示は、ある意味で、目に見えない事柄であり、それが彼らに知らされています。さらに、多くの言い伝えは、預言者ムハンマドやイマームたちが、目に見えない事柄の一部について知っており、時にはそれについて知らせていたことを示しています。例えば、イスラムの預言者ムハンマドは、ムータの戦いで、いとこのジャアファル・イブン・アビーターリブや一部のイスラムの司令官たちが殉教することを、この戦争が始まったとき、メディナのイスラム教徒たちに知らせました。このように、預言者ムハンマドが、目に見えない事柄を知っていた例は数多くあります。

 

 

2018年06月14日20時22分
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