2018年07月14日19時56分
  • 自由意志
    自由意志

人間は、自立した存在であることから、基本的に生活様式の選択を自分自身で行い、神から与えられた権限により、魂の健康の増進あるいは、破壊のいずれかの道を歩む事になります。今回は、この問題について考える事にいたしましょう。

前回お話したように、神は人間を特別な目的のために創造し、この目的達成のために必要なすべての可能性や恩恵を、人間に与えています。人間は、才能を正しく活用する事で、1つの存在物として考えられる、人間としての最高の極致、すなわち後天的な尊厳を獲得することができるのです。

 

人間は、最高の極致に到達できる

 

 人間は、意志や見識を活用し、正しい道を選択することにより、最高レベルの成長や幸福を手にすることができます。イスラム的な価値観の体系において、その中軸をなすのは人間の自由な意志に基づく行為であり、それは人間の本質的なニーズや欲求と目的を結ぶものです。人間の内面には、その人の方向を決めたり、刺激したりする、ニーズや欲望が潜んでいます。そして、そのような目的に到達するために、行動を起こす必要があります。

人間は、自分で考えて行動する存在であることから、自分の人生をどのように生きるかについて舵を取らなければなりません。ですから、人間はその自由行動においては、道端に落ちている石のように、上から下に投下されると重力によって、否応なしに地面に落下するというものではありません。

人間はまた、植物のようにある限定されたプロセスのみをたどるものでもなく、いつでも人生の岐路に立たされ、目の前にあるいくつかの道の中から、自分の意思で1つを選ぶという場面に遭遇します。この選択は、その人の個人的な考え方や意思にかかっています。すなわち、人生を定めるのは、その人の考え方や選択であるということです。

 

人間は意識的な選択により、自らの人格やアイデンティティの形成、そして人生の全体的な方向性を決定します。言い換えれば、人間は自分の周りの人々や環境に対する影響力により、自分や他人の魂の健康のレベルを向上させることになります。こうした魂の健康の増進は、その人の体力や精神力、理性的な力の高まりとなって現れます。

心と知性、そして肉体は順に、人間の趣向や考え方、そして行動の源となり、それらを形成する手段になるとともに、人間の自発的な意志が生まれる下地となります。このように、人間の精神面での趣向や興味関心は、その人の意思に起因しています。すなわち、人間は誰でも、何かを好み、またほかのものを嫌い、遠ざける傾向があります。このため、何かについて決定するときには常に、自分の好き嫌いを決める価値観のシステムを一旦分解し、それらを別の体系システムに組みなおす事ができるのです。もっとも、場合によっては一部の物事をきっぱり断念する事が困難な場合もありますが、それが可能である事も自覚すべきなのです。

 

 

仮に、人間の趣向や状態がその人の任意によるものでない場合、それらに対する責任を持たずに、傲慢になっているような人は、そうした傲慢さが意思に反して自分の心の中に生じたものだと主張するかもしれません。しかし、決してそのようなことはなく、人間の精神状態や現在置かれている状態が、その人の自由意志によらないということはありません。それは、人間が人間である事の基本は、その人の自発的な行動にかかっているからです。そして、まさにこのことからも、人間は自分の趣向や置かれている状態に対して責任を負わなければなりません。

 

人間として成長し、人間のすべての行動の最終目的である神に近づく事も、その人の自発的な行為から生じます。基本的に、人間の創造の哲学や成長過程は、神が定めた哲学にのっとったものであり、自発的な意思によって、人間の成長あるいは凋落の道筋が明らかになるのです。

預言者一門も、正しい道への人々の指導において、人々に神の証拠を示しますが、決して人々に宗教を押し付けることを許可していません。彼らの責務はあくまでも、成長につながる道と逸脱の区別を説明する事にとどまります。これについて、コーラン第2章、アル・バガラ章、「雌牛」第256節には次のようにあります。

"宗教や信条、真理を受け入れることは強制的なものではない。成長と犯罪の区別は明確である”

 

 

このため、本能と理性に基づき、神の道筋にそった正しい道を選ぶか、神を信じない虚偽の道を選ぶかは、最終的には人間自身なのです。このため、イスラムの預言者ムハンマドが人々を無知や迷いから救うために努力し、人間が逸脱に陥っていることに心を痛めていたとき、神からコーラン第88章、アル・ガーシーヤ章、「圧倒的事態」第21節が下されました。この節では、次のように述べられています。

“預言者よ、教え諭すがよい。あなたは、単に教え諭す立場に過ぎず、人々を支配する力はない”

神は人間を自由な状態に置き、正しい道の選択を彼らに任せたものの、様々な方法や、神の預言者を遣わすといった外的な方法、そして本質や理性などの内面的な力により、人間を導き、人間が破滅に陥らないよう正しい軌道に乗せようとしています。そして、できる限り、魂の健康を増進するように計らっているのです。

次回もどうぞ、お楽しみに。

 

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