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昔々、一人の男が砂漠を歩いて旅をしていたときのことです。

昔々、一人の男が砂漠を歩いて旅をしていたときのことです。

前方に道端に座り込んで、声を上げて嘆くアラブの男の姿が目に留まりました。旅の男は首をかしげました。

「このアラブの男はどうしたのだろう? 何か悪いことでもあって、こんなに泣いているのだろうか」。

旅の男は、アラブの男の方へと近づいていき、男が声を上げて泣いている理由を尋ねました。しかし、アラブの男はなおも泣き続けるばかりで、話すことすらできません。そのとき、旅の男はアラブの男の傍らに、犬がぐったりと横たわっているのに気が付きました。そこで、こう尋ねたのです。

「もしもし、この犬はいったいどうしたのでしょう。なぜ、何も言ってくれないのです? もしかしたら私に何かお手伝いできることがあるかもしれませんよ」

 

アラブの男は、泣きながら犬を指差して、言いました。

「これが見えませんか?忠実な私の犬が哀れにも死んでしまったのです。それが悲しくて、こんなに涙を流しているのです」。

 

旅の男は心の中でおやおやと思いながら、アラブの男を励ますように、こう言いました。

「犬が一匹死んでしまったからといって、こんなに嘆き悲しんでいるのですか?犬ならこの世にたくさんいるではありませんか。そんなに泣いていないで、別の犬を探してはどうです?何も世界が終わったわけじゃない。でも、お気の毒に、あなたは大切なものを失って泣いているのですね」

 

アラブの男は、なおも泣きながら答えました。

「あなたはこの犬のことを何もご存じない。もし、この犬がどういう犬か知っていたら、そんな言い方はできない筈です」。

そのときです。傍らの犬がぴくりと動きました。旅の男は顔を輝かせて言いました。

「見ましたか?あなたの犬はまだ死んでいなかった。ほら、生きていますよ!」

 

しかし、アラブの男は顔をしかめて答えました。

「いや、もう手遅れです。この犬は着実に死を迎えつつある。遅かれ早かれ死んでしまうでしょう」。

旅の男は言いました。

「ですが、どうしてこの犬はこんな風になってしまったのでしょう?病気だったのですか?それとも、何か事故にでもあったのですか?」。

 

アラブの男は答えました。

「いや、何も問題はなく健康でした。ねぇ、あなた。この犬の話を聞いてくれませんか」。

アラブの男は泣き止むと、自分の犬のことを話しはじめました。

「私はこれまで、こんなに忠実な犬を見たことはありません。賢い上に、とても忍耐強い犬でした。丸1日、えさをやらなくても、そのために騒ぐこともありません。ところが今日はどうしたことでしょう。砂漠から戻る途中でどうやら空腹が過ぎて、息も絶え絶えの状態になってしまたようなのです。可愛そうに、もし少しでもえさがあったら、こんな風に死ぬこともなかったのに」

 

このとき旅の男は、アラブの男の傍らに置いてある袋が何やら大きく膨らんでいるのに気が付きました。旅の男はアラブの男に向かって尋ねました。

「その袋には何が入っているのですか?」。

アラブの男は悲しそうに言いました。

「何が入っているって、私の夕食とパンが入っているだけですよ」

                         

旅の男はびっくりして言いました。

「あなたは何と愚かなのか。あなたはパンの詰まった袋を持っているのに、犬のほうは腹をすかせて死にそうだなんて」。

アラブの男は答えました。

「確かに、私はこの犬を心から愛しています。でも、自分の食べ物やパンを与えるほどの愛情じゃない。金がなければパンを買うことなどできない、っていう言葉をご存知ですか?それも私は砂漠にいるわけですから、到底不可能です。でも涙を流すだけならただですからね。犬の死を嘆くだけなら一銭もかかりません」

 

旅の男は、心からあきれ果ててアラブの男を見つめました。彼の愚かさにあまりに腹が立ち、首を絞めてやりたいほどでした。袋いっぱいにパンを持っているのに、腹をすかせた自分の犬に分け与えることすらしないけちな男を、これまで見たことはありませんでした。また、犬にパンはやりたくないと言いながら、動物の死にこんなにも涙を流すという、このアラブの男以上に矛盾した人間を見たこともありませんでした。旅の男はアラブの男に向かって言い放ちました。

「空腹で犬を殺すけちな男よ、それも、あれほど君に忠実だった犬を見殺しにするなんて。君は何て大きな罪を犯してしまったのだ」

 

2018年08月05日20時23分
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