1953年8月19日、イランでは合法的な政権に対するクーデターが発生しました。

イランとアメリカの関係史は、陰謀や干渉、敵対といった黒い過去に満ちています。この関係には、半世紀以上にわたり、アメリカのイラン問題における多くの干渉行為が確認できます。1953年8月の事件も、このような事件のひとつであり、これはイランの国民政府を転覆させるため、2つの外国の政府の明らかな直接的干渉により行われました。

65年前の8月19日、アメリカによるクーデターが発生しました。このクーデターはCIAによって、イギリスの協力で計画されたものであり、政治的な勢力と国民の分断を利用し、イランに混乱を生み出すことで、当時のモサッデグ政権を転覆し、イタリアに避難していたモハンマドレザー・シャーをイランに戻しました。

これ以前に、イランの人々は、イランの石油産業からイギリスを追い出し、イラン石油の国有化を宣言していました。しかし、石油国有化運動は、国の指導者と宗教指導者の対立により、弱体化していました。

この状況の中で、組織化されていた一部のならず者が街頭に出て、王制の兵士とともに、刃物を手にして抗議を行い、政府機関を攻撃していました。

このとき、クーデターを行った軍の部隊も、テヘランの重要な地点を占拠していました。アメリカと癒着した軍高官のザーヘディーは、モサッデグ政権の崩壊と、自身の首相就任を、ラジオを通じて国民に宣言しました。

1953年8月のイランのクーデターは、アメリカとイギリスの協力により発生しました。その後、イランは直接アメリカの勢力下におかれ、モハンマド・レザー・パフラヴィーがアメリカの支援により、イランにおける独裁政権を確立しました。

この状況は、1979年2月にホメイニー師の王制に反対する運動が実を結び、王制が崩壊するまで続きました。このため、イランは、専制主義を嫌悪する人々や、アメリカの覇権主義に対する闘争の模範となりました。

このクーデターに関する文書は、後にアメリカやイギリスの諜報機関の機密文書ではなくなり、公開されました。この文書は、アメリカとイギリスが、イランを直接支配するために、このクーデターに関与したことを明らかにしました。

アメリカはこのクーデターの中で、地域における勢力維持に向けた長期的な目標を持っていました。一部の有識者は、このクーデター計画の基本的な動機は、イランにおけるアメリカの石油企業の権益の安定化の下地作りだったと表明しました。新聞クリスチャン・サイエンス・モニターは、記事の中で次のように記しています。

「明らかに、モサッデグ政権が転覆しなければ、1、2ヶ月のうちにイギリスの政権が崩壊しただろう。次期政権はイランの石油問題を人道的かつ賞賛されるような形で解決し、行き詰まりから脱却するために、モサッデグ政権への対応に苦慮せざるを得なくなる」

2000年6月にアメリカ国務省とCIAにより公開された文書において、アメリカが認めた事柄によりますと、イギリスの安全保障機関の代表は、モサッデグ政権の転覆と、その後の傀儡政権に関して、CIAに提案を行い、これに対してアメリカは1952年3月に肯定的な返事をしたということです。

しかし、問題はより複雑な側面を持っています。実際、この内政干渉の下には、地域の軍事支配や安全保障に対する干渉などによるアメリカの戦略上の長期的計画が隠されていました。20世紀のアメリカの著述家カーミット・ルーズベルトは次のように語っています。

「イランのクーデターは、トルーマン大統領時代末期にCIAにより画策された、ある外国政府に対する秘密作戦だった」

 

 

アメリカの愚かな行動や、イスラム革命後にイラン東部タバスで失敗した軍事介入などの陰謀計画は、アメリカはその政策を中東地域を勢力下に置く上での基本戦略として維持し、これはイランのみに限られないということを示しています。確かに、アメリカはイランを支配下に置くため多くの努力を行い、そのひとつが1953年のクーデターだった、という違いはあります。

アメリカのオバマ前大統領は、明らかに、1953年のクーデターにおけるアメリカの関与を認めました。

オバマ大統領は2009年、エジプト・カイロ大学で行った演説の中で、このことに触れ、2013年にも、国連総会で、アメリカのイランにおける関与を認めました。

オバマ大統領はさらに2006年に、自著において、1953年のイランのクーデターに触れ、この行動はアメリカの過度な内政干渉を示すものだとしました。

イラン国民は、アメリカの敵対政策に関する多くの経験を有しています。たとえば、アメリカ軍によるタバスの作戦では、イスラム革命の勝利後すぐに計画されましたが、はじめから失敗しました。この作戦は、改めてアメリカの侵略的な性質を明らかにしました。一方で、それ以降のアメリカの行動からは、アメリカが過去から必要な教訓を得ていないことが明らかです。

アメリカのイランに対する敵対は、現在もやむことがありません。それぞれのことがらは、アメリカの外交政策の歴史の中で、その侵略的な性質を示していたり、恥となっていたりします。アメリカのバーニー・サンダース上院議員は、CNNのインタビューで、1953年のクーデターにおけるアメリカの内政干渉について触れ、次のように語りました。

 

 

 

 

「選挙で民主的に選出されたイランのモサッデグ政権の転覆は、悲劇だった。つまり、アメリカは法的、道義的な点から、他国の政府を転覆する権利があるとは考えていない。また、こういった努力は逆の結果を伴い、各地に多くの情勢不安をもたらした」

アメリカの反イラン政策は、1950年代、つまり、1953年のクーデターから始まり、これまで、数回にわたり計画されてきました。このクーデターはイランに対するアメリカの政策の分析に当たって、地域的な目的により大きな注目を寄せる必要があることを示しています。それはアメリカが、決してイランがアメリカの支配政策を推進する上での地域の障害となるのを望んでいないからです。この目的は、特に冷戦以後、大変大きな重要性を帯びました。

アメリカのイランに対する行動は、数十年間で変化し、今は国際的なゲームとなり、イランを孤立させるための、核問題やイラン恐怖症の吹き込みという形のものとなりました。つまり、アメリカは直接的な関与やクーデター、戦争の画策でイランにダメージを与えることはできないと判断しているのです。

1953年8月19日のクーデターは、イラン国民にアメリカの本質を明らかにし、このため、イランの歴史における外国の干渉の転換点とされました。

2018年08月20日17時16分
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