• ナスィーロッディーン・トゥースィー(2)

    ナスィーロッディーン・トゥースィー(2)

    9月 22, 2019 16:44

    ナスィーロッディーン・トゥースィーは1201年、イラン北東部の町トゥースに生まれました。彼は、コーランや学問の基礎、イスラム法学や原理を父の下で、その後おじのヌーロッディーン・ムハンマドの下で、イスラムの伝承・ハディースや論理学や哲学を学びました。 また少年期に、学問を修めるために、当時イスラム世界の学問の中心とみなされていたイラン北東部のネイシャーブールに赴き、当時の一般的な学問の全てにおいて傑出した存在となりました。モンゴルがホラーサーン地方に侵攻していた時期、トゥースィーはイスマーイール派の拠点に行き、多くの著作を記しました。モンゴルのフラグ・ハンはイランを攻撃し、イスマーイール派の統治を終わらせると、トゥースィーを召抱え、彼を事実上の宰相に選びました。

  • ナスィーロッディーン・トゥースィー(1)

    ナスィーロッディーン・トゥースィー(1)

    9月 21, 2019 15:44

    13世紀のイランの偉大な学者、ナスィーロッディーン・トゥースィーは西暦1201年(イスラム暦597年)に、イラン北東部の町トゥースで生まれました。彼の名前や称号、出生年月日、出生地、父親の名前などで、見解の対立は存在せず、彼自身も自分の出生地をトゥースとしています。これについて、ハムドッラー・モストウフィーなどの一部の歴史家は、次のように記しています。「彼の出自はテヘラン南方の聖地ゴム近郊のヴァルシャーという村で、当時はテヘラン南方のサーヴェの一部だった。しかし、彼の先祖がトゥースに赴き、彼自身もそこで出生したことから、トゥース出身として有名である」。

  • セイエド・イスマーイール・ジョルジャーニー(2)

    セイエド・イスマーイール・ジョルジャーニー(2)

    9月 20, 2019 16:02

    ジョルジャーニーが西暦1043年、現在のイラン北部の町ゴルガーンの付近で、カスピ海の沿岸に位置するジョルジャーンで生まれたことは、前回のこの時間でお話しました。彼は、この町で初等教育を受け、その後、さらに高等な学問を修めるため現在のトルクメニスタンに当たるマルヴ、現在のアフガニスタンにあるバルフ、イラン北東部のネイシャーブールを訪れ、当時の偉大な学者から学問を学びました。

  • セイエド・イスマーイール・ジョルジャーニー(1)

    セイエド・イスマーイール・ジョルジャーニー(1)

    9月 19, 2019 15:52

    11世紀の医学者、セイエド・イスマーイール・ジョルジャーニーはイランの有名な医学者で、非常に知名度が高い人物であるものの、その生涯についてはあまり知られていません。ジョルジャーニーはイランの、そしてイスラムの医学の頂点に君臨しており、イランの最も高い栄誉を受けています。残念ながら、ジョルジャーニーに関して、彼の伝記や様々な資料、そして彼自身の作品に至るまで、その情報は非常にわずかであり、限られています。

  • ハーラズミー(2)

    ハーラズミー(2)

    9月 18, 2019 13:55

    アメリカの歴史家サートゥンは、西暦の9世紀前半の時代をハーラズミーの時代と名づけ、またフランスの歴史家マールは、彼について次のように記しています。「ハーラズミーが、新しいヨーロッパの人々にとって代数学の教師だったという歴史的事実は、今や否定できない」。

  • ハーラズミー (1)

    ハーラズミー (1)

    9月 17, 2019 12:24

    フワーリズミーとして知られるムハンマド・ビン・ムーサー・ハーラズミーは、アッバース時代のイランの歴史的な天文学者、数学者、哲学者、地理学者、歴史家です。彼の生没年について、正確なことはわかっていませんが、イスラム暦2世紀後半、即ち西暦801年以前に、現在の中央アジアにあたるハーラズムで生まれたと言われています。イブン・キトフィーとイブン・ナディームの2人のイスラム教徒の歴史家は、彼をハーラズム出身であるとしており、彼の呼び名もアラル海南部、現在のウズベキスタンのヒヴァにあたるハーラズムの出身であることを示しています。ハーラズミーは数学、特に代数学の分野における発見により、学術的な名声を獲得しました。中世の数世紀における数学者で、彼ほど影響力を持った学者は誰も存在しませんでした。このため、彼は代数学の父と呼ばれています。アメリカの歴史家ジョージ・サートゥンは、自著の中で時代を分類し、15世紀までの時代を「ハーラズミーの時代」と呼んでいます。

  • ファーラービー

    ファーラービー

    9月 16, 2019 13:55

    イランやイラン国外のあらゆる学者や歴史家は、ファーラービーがイラン系であることに疑いはないとしてこれを強調し、ソグド語やペルシャ語によって書かれた文書など、正確で信頼ある資料により、ファーラービーがトルコ系であるとする人物の主張を否定しています。また、ファーラービーが様々な学問において、他に類がないほど優れている人物であり、当時の大半の学問に関する著作を執筆したことにも触れました。彼は、哲学を再興し、イスラム哲学の創始者となりました。ファーラービーの見解では、哲学の命題とは存在の絶対性であるとしています。ファーラービーの哲学はイスラム哲学ですが、ギリシャ哲学、とりわけアリストテレス哲学の影響を受けています。

  • イラン国外にその廟があるイランの思想家

    イラン国外にその廟があるイランの思想家

    9月 15, 2019 12:33

    今回からは、新たなテーマに入ります。前回までは歴史の中での、イランの文化や、イランの文化的、地理的な領域の広がりについてお伝えしてまいりました。今週からはイランの広大な文化圏の中で生き、現在、イラン国外にその廟があるイランの思想家を取り上げます。これらの思想家や著名人の思想や作品の多くは、イランや世界に影響を及ぼし、世界的な遺産とされています。ルーミー、あるいはモウラーナーとして知られている13世紀の神秘主義詩人モウラヴィーや、12世紀の詩人ニザーミー、神秘主義哲学者ソフラヴァルディー、10世紀から11世紀の学者ビールーニー、13世紀の学者ナスロッディーン・トゥースィーなどの人物はイランが誇る著名人であり、世界の人々は彼らの思想による大きな恩恵を受けています。また、世界的な英知は、彼らに負うところが非常に大きくなっています。今夜は、9世紀から10世紀の学者、ファーラービーについてお話することにいたしましょう。

  • ギーラーン州の風俗習慣(2);結婚

    ギーラーン州の風俗習慣(2);結婚

    9月 14, 2019 22:52

    今回も前回に引き続き、カスピ海沿岸ギーラーン州の人々の間で行われている支援についてお話しすることにいたしましょう。

  • ペルシャ語の広がり

    ペルシャ語の広がり

    9月 14, 2019 14:52

    ペルシャ語はサーマーン朝時代、民族語と見なされていましたが、イランのトルコ系の為政者によって公用語となりました。また、イスラム世界の様々な人々や文化のなかで使われている語彙や概念を受容することができたため、国際語としての力を示したのです。12世紀には、広大なイスラム世界の多くの地域が、イランの文化の影響を受けていた、トルコ系王朝の軍事的、政治的な支配下に置かれました。これらの為政者により、ペルシャ語は中国からインド、現在のトルコに当たる小アジアまで広がり、最も権威のある国際語の1つとなりました。ペルシャ語の影響は、インドといった一部の地域にまで及び、そうした地域の詩人や作家がペルシャ語による作品を世に送り出していました。