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    ラマザーン

明日からイスラム教徒の断食月、ラマザーン月が始まります。             

この月に際し、ラジオ日本語では、ラマザーン月特別番組「ラマザーンへの誘い」をお送りします。

 

イスラム教徒は今年も、最も寛容で慈悲深い神の宴に招待されています。

 

 

 

今年もまた、敬虔な人々の前に、天の扉が開かれました。彼らは神の安全な領域に入り、日々の喧騒から離れ、自分と神を知ることだけを考えます。

 

現代の社会では、自分について考える機会が失われており、人々は、物質主義的になっています。そのような中で、ラマザーンは、人間を都市の喧騒から遠ざけ、自分自身の内面を見つめるためのきっかけになります。ラマザーン月は、自分の成長と神について考えることができる機会なのです。

 

ラマザーン月は、イスラム教徒の聖典コーランの内容、イスラムの預言者ムハンマドやイマームたちの発言により、他のどの月にもまさる月とされています。すべての月は神によって定められたものですが、神の月と呼ばれるのは、その中でたった1つです。また、すべての夜は神のものですが、ガドルの夜はたったひとつであり、その偉大な夜は、この聖なるラマザーン月に訪れます。

 

ラマザーンは宴の月です。この宴の主催者は、世界を創造した神であり、神はすべての人を、この宴に招待しています。

 

ここで、食べたり飲んだりしてはならない宴とは、どのようなものかと疑問に思った人もいるでしょう。神は、ラマザーンの宴を、肉体的なもてなしとして催すわけではありません。人間の体は、他のすべての生き物と同じように、常に神の宴に招待されており、神からの日々の糧によって栄養を得ています。しかし、ラマザーン月の宴では、人々の精神が鍛えられ、肉体は休息し、健康を取り戻します。

 

ラマザーン月の精神的な慣習は、人間が自分の本質を育成できるよう、自分の欲望を調節するためのものです。実際、ラマザーン月の真の目的は、人間の精神を対象にしています。この月、断食、神への祈祷、コーランの朗誦、援助や善行、その他のふさわしい行いにより、人間の心を清め、精神的な成長の土台を整えるのです。

 

この宴の価値を知るのは、神のみです。とはいえ、ラマザーン月が宴と呼ばれているのは、文学者による感情的な表現ではありません。それは、世界のすべての真理を知る、イスラムの預言者ムハンマドによって用いられた表現です。預言者ムハンマドは次のように語っています。「あなた方はこの月、神の宴に招かれている」

 

預言者ムハンマドの表現を借りれば、ラマザーン月には、人間のささいな行いであっても、最高の形で注目され、報奨が与えられます。つまり、神は最小の崇拝行為に対して、最高の恩恵を与えてくださいます。また、罪を少しでも悔い改めれば、最大の罪であっても赦され、礼拝と服従、永遠の幸福や真の成長に達するための土台が、いつにも増して整えられます。

 

神は、敬虔な人々を宴に招待することで、彼らを物質的な生活から切り離し、自分のもとへと近づけます。神は、コーラン第2章アルバガラ章雌牛、第183節で次のように語っています。

 

 

 

「信仰を寄せた人々よ、あなた方には断食が定められている。あなた方以前の民にも定められていたように。それによって敬虔な人間となるように」

 

「預言者ユーヌスと罪の悔悟」

モスルの土地に、ネイナヴァーという名の町がありました。慈悲深い神は、その町の人々を導くために、預言者ユーヌスを遣わしました。ユーヌスはモスルの人々に多くの訓戒を与え、神の教えを説き、公正と敬虔さを呼びかけました。しかし人々はそれに抗い、真理の言葉を受け入れませんでした。預言者ユーヌスは、人々を導くことへの希望を失ってしまいました。神は、モスルの人々に責め苦を下すと約束しました。預言者ユーヌスは、シャッワール月15日の水曜、日が昇るときに、神の責め苦が下ると人々に伝えました。しかし人々はそれでも耳を傾けず、ユーヌスを嘲笑しました。

 

預言者ユーヌスの民の中には2人の著名な人物がいました。一人は敬虔な人物であり、もう一人は学者でした。神の責め苦が下るときが近づくと、ユーヌスは敬虔な人物とともに町を離れました。しかし、学者の方は、ユーヌスの許可を得て町に留まりました。預言者ユーヌスが町を離れたとき、人々のために心を痛めていた学者は、人々を山のふもとに集め、自分は高いところに行き、言いました。「人々よ、ユーヌスは神の偉大な預言者であり、決して嘘を言ったりはしない。もし罪を悔い改めなければ、責め苦によってあなた方は滅びることになる。時があるうちに罪を悔い改め、責め苦が下るのを防ぎなさい」

 

この賢者の言葉に、人々は態度を軟化させ、こう言いました。「私たちは罪を悔い改める用意ができています。でも私たちの預言者は去ってしまいました。今、私たちには何ができるでしょう?」 賢者は言いました。「水曜の日の出前に、皆で山のふもとに集まり、母親と子供たちで分かれるのです。母親は一方に、子供たちはもう一方に集まります。そうして、子供たちの嘆く声を聞かせるのです。動物たちも集めなさい。そして動物の子供も親から離すのです。あなた方も泣きながら、神に赦しを懇願するのです」

 

約束された水曜になりました。人々は賢者の言うとおりのことをしました。日の出近くになり、黒い雲が空を覆いつくしました。雲から起こった濃い煙が、町全体に闇をもたらしました。恐ろしい嵐になり、黄色く激しい風が吹き始めました。恐ろしい音が人々の心を震え上がらせました。人々は心の底から神に向かって、罪の悔悟を叫びました。嵐の音と、人々の嘆願の声が響いていました。人々は神に赦しを求め、過去を償うことができるよう、再び機会を与えてくださるようにと願いました。

 

神の慈悲と怒りがせめぎあっていました。しばらくその状態が続きました。災難は人々のすぐ近くまでやってきていました。しかし、怒りよりも慈悲がまさる寛容な神は、人々の真の罪の悔悟を受け入れました。人々は、嵐がだんだん静まっていき、空が明るくなるのを目にし、心から喜びました。母たちは子供を胸に抱き、神に感謝しました。神は、預言者ユーヌスに、民のもとに戻るよう指示しました。なぜなら人々は罪を悔い改め、よりよい人生を送るための猶予を、神に求めたからです。

 

 

 

2018年05月16日20時48分
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