9月 21, 2021 14:21 Asia/Tokyo
  • イエメン市民
    イエメン市民

9月21日は、亡命したイエメンのハーディ元大統領およびその旧政権の失敗に対し同国民が革命を起こした記念日です。

2014年9月21日、イエメン市民はサウジアラビア寄りだった当時の傀儡政権の行政上の不行き届きに対して立ち上がり、大規模な街頭デモや抗議行動を起こして、同政権の打倒を求めました。

イエメン市民の革命の根源

イエメン市民は、当時同国内でのサウジの政策の実行役だったマンスール・ハーディ政権の腐敗や行政面の失敗、そこからくる生活状況の困窮に抗議し、立ち上がりました。彼らが、傀儡政権を見事に打倒した結果、ハーディ旧政権は今や、サウジに逃れた亡命政権と化しています。

ハーディ旧政権の国外亡命後、イエメンのシーア派組織アンサーロッラーが首都サヌアの都市中枢機能を完全に掌握し、同国内での爆弾テロや騒乱の扇動、ひいてはイエメン分割支配をもくろんでいた、地域の一部の国・政権やテロ組織アルカイダとつながりのある、一部のテロ組織の工作を粉砕しました。

アンサーロッラー、その後発足したイエメン救国政府は同国民を支援するとともに、サウジやUAEアラブ首長国連邦の支援を受けていた、イエメン各地のテロ組織やその中核因子に抵抗しています。

これに関して重要な点は、サウジとUAEがサウジ寄りのハーディ旧政権を復権させる目的で、テロリストを手段として利用したことにあります。しかし、こうした自身の目論見や陰謀が失敗したことから、サウジとUAEはイエメン国民による革命からおよそ半年後に、イエメン市民への直接の軍事攻撃に踏み切らざるを得なくなりました。この2つの王朝政権は2015年3月25日、サウジの主導のもとでアラブ連合軍を結成し、イエメン国民に対する残虐な侵略に突入しました。そして、婚礼をはじめとする婚礼などの行事の会場に集まっていた女性や子どもを狙い撃ちにし、イエメン国内で前代未聞の危機的状況を生み出したのです。このことから、イエメンに対するサウジの憤慨の根本原因は、9月21日の革命の中にあるというべきでしょう。

もう1つの点は、サウジの傭兵やイエメン亡命政権の敗北に加えて、サウジ自身もイエメン戦争での自らの目的を達成できなかったことです。その証拠に、サウジは現在、面目を維持したままでのこの戦線からの離脱方法を模索中です。

イエメンおよび、その亡命した旧政権に関してさらに指摘すべき点は、今やサウジを支配するサウード王家さえも、サウジ寄りのイエメン旧政権に耐え切れなくなってきているということです。これを裏付ける証拠として、イエメンの一部情報筋は、サウジがハーディ旧政権の一部の上級幹部職員や責任者らのサウジ滞在査証の延長を停止した、と表明しています。

 

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