8月 04, 2022 22:07 Asia/Tokyo
  • スィーネザニー
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今回はイランの文化と、シーア派3代目イマーム、ホサインのカルバラの蜂起との関係についてお話しすることにいたしましょう。

イスラム暦モハッラム月の訪れにより、カルバラの永遠の出来事が思い起こされています。誰でもある方法によってイマームホサインとその聖なる蜂起との関係を確立することができます。なぜなら、イマームホサインの蜂起は単なる戦闘ではなかったからです。この蜂起は道徳や知識の最も崇高な内容を教える出来事です。

イマームホサインの蜂起は、崇高なる目的に基づいて形成されました。この目的はイマームの様々な発言の中に現れています。イマームとその教友たちの行動と精神性もまた、この人間の尊厳あふれる蜂起が神の宗教的価値観を広め、圧制を排除することを追求していることを示しています。このため、これらの価値観の実現において、カルバラの英雄伝を築いた人々は、最も美しい愛情、忍耐、抵抗、献身を具現し、こうした蜂起に崇高で明らかな文化が含まれていることを示しました。この蜂起を継承する方法のひとつが、この出来事を書き記すことです。それは、イマームホサインの蜂起の精神性、道徳性、政治性、社会性の様々な側面を明らかにするため、この出来事を詳細に記すことです。カルバラの出来事を受け、預言者一門への愛情、そして預言者の清らかな一族に対してウマイヤ朝が行ったことへの激しい嫌悪により、様々な形で、イマームの虐げられた様子やウマイヤ朝の残酷さが書き記されました。カルバラの出来事の執筆はこの出来事を語り継ぐ方法のひとつであり、芸術性を伴っています。11世紀までに執筆されたこれらの文章は、歴史的、芸術的に最も重要な資料と見なされています。これらの書物は、この出来事が起こった時からそれほど時間がたたずに執筆されたため、信憑性も高いものとなっています。

詩歌は、感情や思想を伝達する基本的な手段の一つとして、長い歴史を有しています。イマームホサインのカルバラでの蜂起と殉教に関しても、詩人たちがうたった詩歌はこの出来事を伝えるための下地となりました。宗教的な詩は常に、様々な宗教儀式において、とくにイマームホサインの殉教を伝える上で使用され、これに関する詩をうたうことは常に詩人達の注目を集めてきました。

カルバラの出来事の後、およそ300年間、圧制政権の弾圧により、宗教詩は密かに預言者一門の支持者達の間でうたわれていました。しかし10世紀にデイラム朝のモエゾッドウレ・アフマドがイラク、フーゼスターン、ファールスの一部を占領すると、彼は支配地域の全土で、イマームホサインの追悼を行うことを許しました。

デイラム朝以降は、イマームホサインの追悼儀式は罪にはならなかったばかりか、全ての場所において包括的な命令として行われていました。こうしてイマームホサインの追悼において悲歌や哀歌を歌うことが、安心して行われるようになり、拡大しました。その作品が文字で残された最初の詩人はキャサーイー・マルズィであり、彼は10世紀に生きた人でした。さらに悲歌を歌う大詩人として、モフタシャム・カーシャーニーの名を挙げることができます。彼の作品は現代においても、アーシューラーの詩を発展させ、多くの詩人たちがこの作品を支持しています。

10日目を意味するアーシューラーの詩を説明する上で、この種の詩が、イマームホサインの蜂起と殉教の出来事に関するものだという重要な点に注目を寄せるべきでしょう。一方で、イマームホサインの蜂起に対して叙情的な見方をしているだけのものと、価値観や英雄伝の点から、この蜂起に注目しているものとでは異なります。これにより、アーシューラーの詩は、イマームホサインの偉大な蜂起の価値や英雄伝を語った詩だと言えます。

殉教劇は、演劇のジャンルのひとつで、イラン人の間の信条、文化、政治、社会の起源となっています。この種の演劇は、イランのイスラム以前の慣習に端を発していますが、680年のカルバラの出来事により、異なった道を歩むことになりました。

殉教劇の語り

 

ブワイフ朝時代に、シーア派の追悼儀式が始まりました。サファヴィー朝時代にはモフタシャム・カーシャーニーといった詩人の悲歌により、文学的な豊かさを増し、ガージャール朝時代には完全な劇の形にあり、それを行うためのテキエと呼ばれる場所も作られました。

殉教劇は、シーア派の信条と、ペルシャ詩とイランの伝統音楽の使用により、長い歴史を持つ唯一のイランの演劇と見なされています。殉教劇は演劇と非常に似通っていますが、その内容は完全にイラン的なものとなっています。殉教劇はその創設者の多くが、この演劇への支持を、義務、あるいは寄進と見なし、それを追悼儀式の傍らで行なう世界で唯一の演劇と言うべきでしょう。

殉教劇には主催者と運営者がいます。殉教劇の上演者、あるいは俳優たちは、美しい声を持ち、顔にベールをかけていることがよしとされます。殉教劇の上演者は、通常、イマーム側と敵側の二つのグループに分けられます。

殉教劇では多くの象徴が見られます。緑、赤、黒の旗は預言者一門、熱情・革命、追悼の象徴であり、イマームホサインの軍の旗を象徴するものがあったり、チグリス川を示す水の入った大きな器、ナツメヤシなどの木の枝も象徴的な存在です。時に白いハトが使用されることがありますが、これは観客に書簡や知らせを受け取ることを気づかせるものだったり、純潔や共感を象徴するものだったりします。

殉教劇では、音楽は、殉教劇の内容とはほとんど関係のないメロディーと、主な下地となる歌の二つの部分に分けられます。実際、殉教劇の歌は長い年月それが維持される要因となってきました。語り手は、歌やそのテクニックを完全にマスターしており、殉教劇の登場人物を語るのに音楽を利用します。殉教劇はイランの北から南、全国でモハッラム月に行われます。

また、幕の上に描かれた絵を使って、イマームホサインの物語を語るパルデ・ハーニーと呼ばれる演劇もあります。これは大衆演劇から生まれたもので、その歴史は、音楽や歌を伴いながら英雄物語を語るナッガーリーと関係があります。

パルデ・ハーニー

 

パルデ・ハーニーのパルデとは、布や幕を意味し、その上には一場面、あるいは複数の場面が描かれています。この中に描かれているのは、カルバラの出来事やその前後の出来事です。とはいえ次第に教訓的な道徳物語もそれに加えられていきました。描かれている人々は、善人と悪人で、宗教的な信条によって色がつけられています。これらの絵は大衆的なものであり、歴史的な言い伝えや記述、伝説に基づいて描かれています。通常、幕の絵を木の棒で指し示し、よく通る声で歌いながら語る人は、パルデ・ハーンと呼ばれます。この演劇は言葉によるところが大きく、時に幕を少しずつ開けながら物語を語ることもあります。

イランのイスラム革命後の数年間、演劇、写真、映画といった芸術も、アーシューラーの出来事を語る方向に向かい、これに関する貴重な作品が生まれました。これらの作品は、イランの芸術家によるこの悲劇への新たなアプローチを物語っています。

 


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