12月 20, 2016 16:22 Asia/Tokyo
  • イスラム初期のイラン各地の服装

今回の番組でも、引き続き、イスラム初期のイラン各地の服装についてお話しましょう。

アッバース朝の時代、絹やウール、錦でできた衣服が流行していました。当時、最も良質な布と見なされていたのは、ハズと呼ばれる布で、それは、雄のウサギの毛と絹でできていました。錦や絹の布の上には、動物や植物が描かれていました。この他、バズと呼ばれる綿の布は、高価な繊維と見なされていました。この他にも、麻でできた布など、アッバース朝時代には、さまざまな種類の布が使用され、それで衣服が作られていました。為政者カリフの宮殿の池の傍らにある馬に乗った彫像にも、絹の布でできた衣服が着せられていました。

 

この頃、多くの町には、布に模様を描く工房が存在し、多くの職人が働いていました。歴史にもあるように、カリフの宮殿にも、裁縫や靴作りなどを行う職人がいました。9世紀半ばごろには、カリフのための服やじゅうたんを作る部門の責任者がいました。この頃の政府の出費は、毎日7000ディナールで、そのうち、およそ100ディナールが、主に衣食関係に費やされていました。

 

この他、当時の衣服の重要性については、アッバース朝の為政者カリフや首長たちの贈り物を挙げることができます。当時の著名な音楽家であったイスハーク・モヴァッセリーに、宮廷からの贈り物がバグダッドに送られましたが、その全ては布や衣服でした。その贈り物には、7枚のホラーサーン製の衣服、10枚のエジプト製の衣服、5枚のクーファ製の絹、5枚のシューシュ製の帷子が含まれており、この音楽家がいかに重要な人物であったかを物語っています。

 

この時代、一部の重要な書簡は、布に記されていました。753年、統治に関する規定が布に記され、その後、すべての関係者がそこに判を押しました。その10年後には、ある戦いの中で、町の人々への布告が絹の布に記されました。

 

アッバース朝時代の紡績業は、綿、絹、リネンによるものでした。綿花畑やそれに関連する産業がイラクから周辺の地域に広がり、綿織物が盛んになりました。各地でさまざまな布や衣服が作られていましたが、その中でも、有名だった大きな町についてお話しましょう。

 

バグダッドでは、絹や羊毛の衣服が作られていました。バスラでは、サンダル作りや綿製の服の生産が広まっていました。クーファの絹も有名で、チグリス川の西部の町からは、ターバンが輸出されていました。

 

イスラム教徒が他の土地の人々に与えた影響については、ヨーロッパ人を例に挙げることができます。十字軍戦争の中で、ヨーロッパの人々は、イラン人の帽子を模倣しました。また、女性の髪の毛を覆い隠すマグナエと呼ばれる被り物も取り入れていましたが、それはイラン人が使っているものにそっくりでした。

 

衣服の値段については、次のような話があります。10世紀の著名な縫い師であったアボルアッバース・デイバリーは、毎週金曜にシャツを1枚縫っていて、そのたびに金を受け取っていました。 歴史によれば、縫い師によって、値段の違うさまざまな質の布が縫られており、このことは、当時の織物の技術を物語っています。高価なターバンも売買されたり、有力者たちによる贈り物に選ばれたりしていました。

 

こうした中、高価な衣服のセットを洗濯する費用も、それなりに高かったようです。残されている資料や書物によれば、当時、衣服の洗濯はたたくことによって行われ、ガゾルと呼ばれる人が、特別な場所で服の洗濯を請け負っていました。

 

歴史的な資料を見ると、アッバース朝の時代、布を織る職人たちに関する義務や規定が作成されました。これによれば、イスラム法の取締官は、すべての商店主らを監視する義務がありました。例えば、帽子屋が擦り切れた布を使用していないか、またリネンを売る店が、重量を稼ぐために布をぬらしていないか、といった事柄です。

 

976年、布や衣服の生産工場を監視すべきだ、とする憲章が、行政の責任者に向けて出されました。これは、品質のよい布が作られ、布、じゅうたん、旗など、どのような質のものであっても、そこにカリフのしるしが残されるようにするためです。そのおよそ200年前、カリフは、繊維業に携わる人々に対して試験を行い、その人に相応しい資格があるかどうかを見極めるよう、指示を出していました。当時、繊維業に携わる人々は、自分たちだけの特別な組合を有しており、そこには特別なつながりがありました。あるとき、反物商の一人の財産が強奪されたとき、同業の仲間たちが結束し、その財産を盗賊から奪い返したと言われています。

 

この時代、一部の女性たちは、衣服の縫製や売買を職業にしていました。また、羊毛をつむぎ、糸を作る仕事を職業とする女性もおり、それらを売る女性専用の市場も存在していました。また、綿から糸をつむぐ女性たちもいました。これらの職業は、それぞれの担当の範囲が決まっており、例えば、靴職人は、靴を修理する権利はなく、靴を作ることのみを担当していました。綿をつむぐ人も、新しい靴を縫うことは許されておらず、その点で、それぞれの専門に敬意が表され、その範囲が明確に決められていました。

 

14世紀の歴史家、イブン・ハルドゥーンは、職業の分類において、12世紀の哲学者であったガザーリーと同じ考え方を持っており、繊維業をなくてはならない産業と見なしていました。

 

 

 

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