4月 12, 2017 14:45 Asia/Tokyo
  • イルハン朝とティムール朝時代のイラン人の服装

モンゴル族のイラン襲来は、歴史の中で最も破壊的な攻撃でした。この攻撃は、イラン人の経済、文化、社会的な生活に長期的な影響を及ぼしました。

イルハン朝の統治は、イラン人が、国の独立を復活させ、その文化や思想を保持するための弛まぬ闘争の起点となりました。最終的に、イラン人は、ある程度、自分たちの目的を遂げることができました。今夜の番組では、イルハン朝とティムール朝時代のイラン人の服装についてお話しすることにいたしましょう。

 

モンゴル族は、テント生活を送る部族で、13世紀に中央アジアから生まれました。彼らは破壊行為によって、攻撃した地域の思想や芸術を停滞させました。ホラズム・シャー朝の皇帝、ジャラールッディーンは、モンゴルの攻撃に対して果敢に抵抗し、一度は彼らを打倒しました。しかし、1230年に殺害されました。

 

イランが征服された後、イルハン朝が打ち立てられました。フラグハンは、まず、アターマレクジョヴェイニーを宰相に任命し、イルハン朝の統治を繁栄させると共に、この有能な宰相を通じて、イラン人の芸術、文化、風俗習慣を学び、文化的な発展の下地を整えました。彼の後継者がイスラム教徒になったことで、イランの社会、文学、科学、芸術の分野で大きな改革が始められました。そのしるしは、この時代から残る芸術作品に見ることができます。

 

イルハン朝は、1256年から1335年まで、イランを統治しました。この間、イランの芸術や文明は、東洋の芸術、特に中国の芸術の影響を受けました。中国人の縫い師が、型を使った裁縫を少しずつイランに広めました。中国語のはさみ、パターン、アイロンといった言葉は、この時代から広まりました。イルハン朝の衣服も、このような影響を受けていました。

 

ティムール朝の君主、バイソンゴルのシャーナーメは、イルハン朝時代のイラン人の服装を物語っており、この時代の衣服や帽子のデザインに、中国の文化や芸術が影響を与えたことを示しています。バイソンゴルのシャーナーメは、挿絵のある古い写本で、書籍の装飾と芸術的な価値の点で大きな重要性を有しています。この貴重な書物には、ヘラート派の22の絵画があり、バイソンゴル・ミールザーの命によって創作されました。さらに、キャマーロッディーン・ベフザードは、サアディの果樹園などの写本の挿絵において、その時代に広まっていた衣服の多くを描いています。

 

アラビア語とペルシャ語の文書からは、限られた情報しか知ることができず、通常、衣服の説明はなく、布や繊維の名前が用いられています。こうした資料の多くは、さまざまな機会に、儀礼として贈られた上着やベルトに触れています。

 

15世紀のスペインの旅行家、ルイ・ゴンザレス・デ・クラビホは、ティムール朝の宮廷に送られた3人目の芸術家でした。ティムールは、彼と数人の大使に宮廷の上着やシャツ、帽子を贈って彼らを尊重しました。クラビホは、絹、羊毛、リネン、また、イタチやキツネなどの毛皮、縁取りやひだのある服、襟の閉じたジャケットについて語っています。

 

クラビホが初めてティムールに会ったとき、ティムールは、赤い宝石のついた王冠と背の高い白い帽子、縁取りのないシンプルな絹のマントを身につけていました。その翌週にティムールの孫に会ったとき、彼は、金の縁取りのついた青い絹製の上着という、タタール人のような服装をしていました。シャジクソウの形をした襟は、中国のそれをモデルにしたもので、イランでは、ティムール朝とイルハン朝時代に流行しました。この襟は、4つのひだがあり、前後から肩にかかっていました。

 

ティムール朝の時代、タブリーズの人々の服装を見たベネチアの商人は、次のように語っています。「男性はイランの伝統的な服装をしている。胸元は開いていて、上着は絹であり、羊毛やベルベットといったさまざまな種類の布があった」

 

モンゴル族やティムール朝の時代から残る衣服はわずかですが、それらのほぼ全てが墓から発見されています。その多くは、デザインや質、色を示していますが、縫製についてわかるものはほとんどありません。例えば、花の模様がある金の絹の布は、西洋に輸出されるまで、縫製は行われませんでした。そのデザインは、恐らく、特別な衣服を作るためのものだったと考えられています。14世紀のシャーナーメの写本の挿絵にある、椅子に座った王が、そのような衣服を身につけていました。

 

現代に残っている衣服から、男性はモンゴル族の時代、前開きの長い上着を身につけていたことが伺えます。この上着はベルトやショールで締められていました。ショールで締める場合には、右側の腕の下で縛られるか、中央でリボンのように縛られていました。この上着の袖はひじまでありました。この上着は、丈の長い衣服の上に着るもので、ズボンの裾はブーツや靴の中に入れられていました。

 

モンゴル族とティムール朝の時代の被り物は、変化の過渡期にあったようです。モンゴル族の帽子はさまざまな種類があり、その多くは鳥の羽が飾られていました。

 

挿絵や絵画を見ると、衣服には、金と調和したデザインが施され、上着とシャツの色を対称的にするのが流行していたことがわかります。絵画や挿絵は、ティムール朝時代の流行の変化を示しており、男性の上着のデザインはそれほど多くありません。それらは、下の前の部分がボタンで留められており、ショールではなく、金属や皮でできたベルトが使われていました。また、ひだのある膨らんだズボンを履き、その裾は、ブーツや靴の中にしまいこまれていました。

 

イルハン朝時代には、暖色系が多く使われていました。男性は、白い服を身につけ、花の模様のついた布製の靴を履いていました。女性も、色とりどりの花の模様のある服を着て、白いチャードルを被っていました。また、黒い色のカバーで目以外の顔の部分を覆っていました。

 

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