12月 11, 2019 17:52 Asia/Tokyo
  • オルフィー・シーラーズィー
    オルフィー・シーラーズィー

今回は前回の続きとして、サファヴィー朝時代の詩人、オルフィー・シーラーズィーについてお話することにしましょう。

シーラーズィーはペルシャ語詩におけるインド様式の第一人者として、後の詩人に影響を与えました。

前回の番組では、16世紀の詩人モハンマド・ジャマーロッディーン・オルフィー・シーラーズィーが、シーラーズにて生まれたとお話しました。シーラーズィーは文学、医学、論理学、哲学や絵画、書道をシーラーズで学びました。

シーラーズィーはとても若い頃から詩作を行っており、すぐに当時の詩人の間で有名になりました。26歳のときに、インドに移住し、ムガル朝の宮廷に仕えるようになりました。彼はムガル長の皇帝アクバルの宮廷で大きな進歩を遂げ、第一級の詩人とされました。オルフィーは36歳という若さで死去しました。彼は当初、現在のパキスタン東部のラホールに埋葬されていましたが、30年後、彼の遺体は現在のイラクにあるシーア派の聖地ナジャフに移送されました。

シーラーズィーは多くの専門家によれば、16世紀における頌詩の巨匠で、1万4千の対句が含まれる彼の詩集により、インド様式の詩の第1人者とされています。彼の詩やインド様式は、シーラーズィーの死後、多くの詩人や文学者に注目されました。

17世紀ごろの詩人、ダーゲスターニーは、シーラーズィーのスタイルは、彼が存命だったころ、あるいは彼がインドに移住する前、彼の生まれ故郷のシーラーズで大変一般的で、彼がインドに移住した後も、インドの詩人の間では流行していたと語っています。

シーラーズィーは12世紀の偉大な頌詩詩人のハーガーニーのスタイルを模倣したとしています。また、頌詩においては、ハーガーニーのそれを意識しています。現代のペルシャ文学研究者ザビーオッラーサファー教授は、次のように述べています。

「シーラーズィーの頌詩における名声には、いくつかの理由がある。まずひとつに、シーラーズィーは前の時代の巨匠のスタイルを模倣する能力があった。2つめは、シーラーズィーは苦労することなく流麗な言葉をつかい、含みのある詩を作り出す。この特性は彼の後の詩人への遺産にもなっている。3つ目の理由は、シーラーズィーの頌詩が、学術的な思想を含み、正確である点だ。彼は頌詩の巨匠とされているが、自身は叙情詩の読み手であるとして、頌詩よりも抒情詩を上だとしていた」

シーラーズィーはその短い生涯の中で、16世紀の詩人バーバー・ファガーニーの詩をインド様式と関連付けることができました。バーバー・ファガーニーは当時の流行の頌詩のスタイルに背を向け、心動かす詩を作り出すことができた詩人です。ザビーオッラーサファー教授は次のように語っています。

バーバー・ファガーニーの詩のスタイルは流麗な詩から背を向け、単純かつ詩的な感性を前面に出した詩により、心に響くような抒情詩を作り出しました。インド様式の詩の専門家すべてによれば、彼はインド様式の創始者だということです。また、イラン現代の文学研究者シールース・シャミーサー博士は、シーラーズィーの詩は、13世紀のサアディーや14世紀のハーフェズ、バーバー・ファガーニーによって生み出され、インド様式が出現する下地が作り出されたと考えています。

イランの名声、世界的な栄誉は、IRIB国際放送ラジオ日本語よりお送りしています。今夜の番組では、サファヴィー朝時代の詩人、オルフィー・シーラーズィーがインド様式のペルシャ語詩の出現に果たした役割と、後世の詩人への影響についてお話しています。

ペルシャ語の抒情詩は、詩人の感情や特定の状況を説明し、多くは愛や情感をこめた詩です。政治的な思想を説明するために詩が利用された立憲革命時代のような特定の政治状況下でなければ、抒情詩は見解を提示する上での優れた詩のジャンルとすることはできません。

抒情詩は主に、詩人の中にある芸術性を示すのに使われます。このジャンルは、何かを愛する経験や定型の哲学思想、感情を芸術的に繰り返すものです。ある文芸評論家は、文学作品とは、分析の果てに、ある種の英知となり、思想のようなものを提示するための唯一の方法となる、としています。

シーラーズィーの詩を正確に見れば、彼の詩は独特の見解が含まれていたということができます。彼の詩は芸術的な英知と自身の周辺の世界に対する個人的な理解が含まれています。イランの現代詩人シャムス・ランガルードは、シーラーズィーの詩は一般の人々にとっての哲学の集大成であり、知識と思想の力が彼の詩の中に生まれているとしています。

シーラーズィーは先人たちに関する事柄を述べてはいますが、それを語る形式は独特のものを用いています。一方、シーラーズィーはバーバー・ファガーニーの詩の形式を受け継ぎ、抒情詩や頌詩の様々なスタイルを詩集によって築きました。この形式は後の人々が完成させようと努力し、ついにはインド様式として最終的なものとなりました。

サファヴィー朝時代の哲学者シェイフ・バハーイーは、その教えの要旨を詩にしたためました。シェイフ・バハーイーは自身の著作の中で、シーラーズィーの詩を引用し、いくつかの対句や四行詩を伝えています。

インド形式の詩人、ナジーリー・ネイシャーブーリーも、インド様式の詩人で、シーラーズィーの様式に従っています。ナジーリーは、シーラーズィーと多くの共通点を持っています。この2人の詩人は、詩や論争の上で大いに競い合っていました。この2人の詩人の賞賛者がムガル帝国の大臣、アブドル・ラヒーム・ハーンだったことから、しばしばそのライバル関係とねたみにより、互いに詩で攻撃していました。

インド様式でもっとも有名な17世紀の詩人、サーエブ・タブリーズィーは、彼自身、シーラズィーの詩の影響を受けたことを認めています。タブリーズィーはシーラーズィーのような抒情詩を詠むことで、彼の文学的、芸術的方針を引き継ぎ、16世紀、17世紀の詩の中で、シーラーズィーが最も優れた詩人であることを認めていました。シーラーズィーの詩は当時の人々や詩人に記憶され、語られ、一般に受け入れられていたのです。シーラーズィーの詩は、タブリーズィーによれば、人々の記憶に永遠に残るものとされています。

 

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