4月 06, 2020 18:52 Asia/Tokyo

コーラン第32章サジダ章叩頭(こうとう) 第26節~第30節

                                                                   慈悲深く、慈愛あまねき、アッラーの御名において

第26節

「彼らには、我々が彼ら以前の多くの民を滅ぼしたことを明らかにしなかったか。[彼らは]その滅ぼされた人々の家の中を往来しているというのに。とはいえ、このことの中には多くのしるし[や教訓]がある。彼らは聞かないのか?」(32:26)

 (26)أَوَلَمْ یَهْدِ لَهُمْ کَمْ أَهْلَکْنَا مِنْ قَبْلِهِمْ مِنَ الْقُرُونِ یَمْشُونَ فِی مَسَاکِنِهِمْ إِنَّ فِی ذَلِکَ لآیَاتٍ أَفَلا یَسْمَعُونَ

 

前回の番組で、神は、虐げられた人々のかたきを圧制者から取ると約束していました。この節は彼らに向かって次のように語りかけています。「あなた方を導く上で、我々が、罪を犯した以前の多くの民を滅ぼしたのをあなた方が知っていること、あなた方が彼らの廃墟の中を歩んでいることだけで十分ではないのか?」

 

アードの民やサムードの民の廃墟のあとは、メッカからシリアに向かう途中にありました。メッカの人々は、商いの旅の途中でそのそばを通過していました。その土地には、かつて、豊かで有力な民が暮らしていましたが、彼らは罪や圧制、堕落によって苦難に襲われ、彼らの文明は滅びてしまいました。この民の廃墟からは、旅人に教訓や忠告を与えるような叫び声が聞こえてくるようですが、誰もそれを聞こうとせず、その叫びに注目することはありません。

 

第26節の教え

  • 過去の文明の遺跡は、記念撮影を行うための場所である以上に、先人たちの運命から教訓を得るための場所でなければなりません。
  • 過去は未来への道しるべです。ただし人間が目と耳を開き、過去の出来事を研究し、そこから学ぶことが条件です。
  • 聞く耳を持っていれば、たとえ廃墟であっても、私たちにメッセージをもたらしてくれます。
  • 先人たちの古代遺跡を守ることは、未来の人々が教訓を得られるようにするために必要なことです。

 

第27節

「彼らは見なかったのか。我々が草木のない大地に水を送り、それによって作物を生育させ、四足動物や彼ら自身がそこから食べられるようにしたのを。彼らには見えないのか?」(32:27)

(27)وَلَمْ یَرَوْا أَنَّا نَسُوقُ الْمَاءَ إِلَى الأرْضِ الْجُرُزِ فَنُخْرِجُ بِهِ زَرْعًا تَأْکُلُ مِنْهُ أَنْعَامُهُمْ وَأَنْفُسُهُمْ أَفَلا یُبْصِرُونَ

 

罪を犯した人に対する神の怒りを述べた前の節に続き、この節は、すべての創造物に対する神の幅広い慈悲や恩恵に触れ、次のように語っています。「神が乾いた大地にどのようにして水を送り込み、それらを緑豊かに繁栄させ、人間や動物が生きるための食料を用意したのかを見ないのか?」

 

実際、山や丘、谷などの地表面の高さの違いに注目すると、大洋から地球上の多くの地点に水を行き届かせることは不可能です。さらに、大洋の水はしょっぱくて飲むことができません。

 

神は、太陽によって海水を蒸発させ、それを雲に変えることで、その両方の問題を解決しています。雲が風にのって移動し、乾いた大地の上空で雨を降らせます。また、水が蒸発する過程で海水の塩分がなくなり、透明な甘くておいしい水が地球の住民に提供されます。これは大きな恩恵であり、誰もがそれを目にしています。それなのに、その偉大さに注目することはありません。しかし、自然における水の循環は、地球上の生物の存続にとって鍵となる役割を果たしているの

 

第27節の教え

  • 緑豊かな自然、人間や動物が生きる環境は、神を知るための最良のしるしです。とはいえそれは、学ぼうとする姿勢があってのことです。
  • 海から遠く離れた地域に雲が移動し、雨が降るのは、偶然の出来事ではありません。それは神の英知に溢れた意志によるものです。
  • 雨が降り、植物が生育するのは、神のしるしのひとつです。それを簡単に見過ごしてはなりません。

 

第28節

「また、彼らは言う。『もしあなた方の言うことが本当であるならば、この勝利はいつになるのですか?』と。」(32:28)

(28)وَیَقُولُونَ مَتَى هَذَا الْفَتْحُ إِنْ کُنْتُمْ صَادِقِینَ

 

第29節

「言え、『勝利の日、不信心に走った人々が信仰を寄せても、彼らの状況の役には立たず、もはや彼らに猶予が与えられることはない。」(32:29)

(29)قُلْ یَوْمَ الْفَتْحِ لا یَنْفَعُ الَّذِینَ کَفَرُوا إِیمَانُهُمْ وَلا هُمْ یُنْظَرُونَ

 

第30節

「そこであなたは、彼らに背を向けて待ちなさい。彼らも待っているのである』」(32:30)

(30)فَأَعْرِضْ عَنْهُمْ وَانْتَظِرْ إِنَّهُمْ مُنْتَظِرُونَ

 

これらの節は、サジダ章の終盤の節であり、前の節に続き、次のように語っています。「不信心者や多神教徒は常に、“真理は偽りに勝利する。神は信仰を寄せた者に対してそのように約束している”という言葉を預言者から聞いていた。そこで彼らは預言者や敬虔な人々を嘲笑し、このように語っていた。『あなた方は、神は罪を犯した人に報復し、最後通告の後、彼らを滅ぼすと言っているが、その約束はいつくるのか? 現世で私たちに懲罰が下るというあなた方の約束は、いつ起こるのか?』」 神は彼らに対し、次のように答えています。「その日はやって来る。しかし、その日にあなた方が信仰を寄せても、受け入れられ、あなた方に猶予が与えられると考えてはならない。その日には、立ち返る機会はないのである」

 

この章の最後の節は、真理を理解しながら、それを嘲笑する頑なな人々からは遠ざかるよう命じ、彼らに次のように語っています。「神が私たちとあなた方の間を調停するのを待ちなさい」

 

第28節~30節の教え

  • 質問は時に、真理を理解するためのものではなく、それを嘲笑するためのものであることがあります。
  • 窮地に陥った場合に信仰を寄せても価値はありません。なぜなら、そのようなとき、人間は自分の意志で信仰を寄せるわけではないからです。
  • 忠告や論証が役に立たなかった場合、逸脱した人からは遠ざかる必要があります。

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