10月 03, 2021 17:52 Asia/Tokyo

コーラン第34章サバア章サバア、第25節~第30節

慈悲深く、慈愛あまねき、アッラーの御名において

 

第25節

「[預言者よ]言え、『あなた方は私たちが犯した事柄について尋問されることはなく、私たちも、あなた方が行ったことについて尋問されることはない』」

 (25)قُلْ لَا تُسْأَلُونَ عَمَّا أَجْرَمْنَا وَلَا نُسْأَلُ عَمَّا تَعْمَلُونَ

 

第26節

 「言え、『私たちの主は、私たちとあなた方を[最後の審判で]集め、その後、私たちとあなた方の間を調停される。彼こそは、偉大な調停者であられる』」

 (26)قُلْ يَجْمَعُ بَيْنَنَا رَبُّنَا ثُمَّ يَفْتَحُ بَيْنَنَا بِالْحَقِّ وَهُوَ الْفَتَّاحُ الْعَلِيمُ

 

第27節

「 言え、『あなた方が神と同等のものとして捉えていたものたちを私に示すがよい』と。だが、決してそのようなことはなく、彼こそは、英明で他の影響を受けない神である」

 (27) قُلْ أَرُونِيَ الَّذِينَ أَلْحَقْتُمْ بِهِ شُرَكَاءَ كَلَّا بَلْ هُوَ اللَّهُ الْعَزِيزُ الْحَكِيمُ

 

前回の番組でお話したように、神の預言者は、人々を真理へと導く上で、彼らに対し、自分で考えて真理の道を選ぶよう求めており、当然のことながら、誰もが自分の選択や行動の責任を持つことになります。この節は次のように語っています。「最後の審判でも、誰もが自分の選んだ事柄について尋問される。とはいえ、人々の間の調停は、天と地の創造主であり、全ての人間の状態を知っている神によって行われる。神は真理に基づいて調停し、全ての人に、その人の行いに相応しい形で報いる」

 

世界では、すべての人が、自分の道や考え方、行動を正しいと主張しており、真理と偽りを区別することは、簡単なことではありません。しかし、最後の審判は、主張する場ではありません。神が自らの英知に基づいて、真理と偽りを明らかにし、その間を分けるのです。

 

次の節は、再び、多神教徒に次のように語りかけています。「あなた方が神と同等に据えているものは真実ではなく、あなた方が思い込んでいる事柄に過ぎない。これは、提示したり、証明したりできることではない。それらは一握りの石や木であり、創造や世界の管理において神の仲間ではありえない」

 

第25節から27節の教え

  • 最後の審判において、さまざまな行いをはかる基準は、真理と偽りであって、家柄や言語、人種ではありません。そのため、それぞれの行いは真理の基準のみによってはかられます。
  • 反対者との話し合いでは、彼らを罪びととは見なさないようにしましょう。神の預言者ムハンマドは、多神教徒に向かって、「神は私たちの罪ゆえに私たちを尋問され、あなた方もあなた方の行いゆえに尋問される」と言いました。
  • 人間の空想上の崇拝の対象はいずれも、自分のことを神と同等の存在とは見なしていません。知識のない人間が、それらを神と関連付け、神と同等の存在と見なしているのです。

 

第28節

「我々は、すべての人々に警告や吉報を与える者としてのみ、汝を遣わした。だが、多くの人はそれを知らない」

 (28) وَمَا أَرْسَلْنَاكَ إِلَّا كَافَّةً لِلنَّاسِ بَشِيرًا وَنَذِيرًا وَلَكِنَّ أَكْثَرَ النَّاسِ لَا يَعْلَمُونَ

 

唯一神信仰と多神教信仰に関する議論の後、この節は、預言者ムハンマドの使命が世界的、包括的なものであることについて語っています。神が最初に語りかけたのは、ヒジャーズ地方のアラビア語を話す人々で、神の書物はアラビア語で下されました。しかし、神のメッセージは、特定の民族や言語、特定の時代に限られたものではありません。それどころか、このメッセージは、世界のすべての民族や人種、歴史のすべての時代を含むものなのです。コーラン第25章アル・フォルガーン章識別の第1節にも、預言者の導きは、世界のすべての人のためのものだとあります。

 

この節では、預言者ムハンマドが使命を果たす上での教育方法が述べられています。「預言者は、真理へと傾き、真理を受け入れようとしていた人々には、現世と来世での幸福を知らせ、真理に背を向け、真理に対して頑なな態度を取る人々には、厳しい懲罰を警告する。だが残念ながら、多くの人は、自分の幸福に、信仰と不信心がどのような役割を果たすのかを知らず、このような預言者の吉報や警告をほとんど気に留めることがない」

 

第28節の教え

  • イスラムの預言者ムハンマドの使命は世界的なものであり、彼が自分たちと同じ民族や人種ではなかったということは口実に過ぎず、これは、“預言者イーサーが生まれた土地や使命を実行していた場所がシリアやパレスチナであるため、そこに住む人だけがキリスト教徒でなければならない”と言うのと同じです。
  • 神の預言者たちの責務は、神の導きを伝えることだけであり、人々に強制的に神の宗教を受け入れさせることではありませんでした。そのため、彼らが人々を導くやり方は、警告や吉報に基づいたものであって、人々に何かを強制することはありませんでした。

 

第29節

「彼らは言う。『もしあなた方が本当のことを言っているのなら、この[最後の審判の]約束はいつになるのか』と。」

 (29) وَيَقُولُونَ مَتَى هَذَا الْوَعْدُ إِنْ كُنْتُمْ صَادِقِينَ

 

第30節

「言え、『あなた方に約束された日は、わずかたりとも遅らせたり、早めたりすることはできない』と」

 (30) قُلْ لَكُمْ مِيعَادُ يَوْمٍ لَا تَسْتَأْخِرُونَ عَنْهُ سَاعَةً وَلَا تَسْتَقْدِمُونَ

 

唯一神の信仰や預言者の使命に触れた後、この2つの節は、復活について触れ、次のように語っています。「復活を否定する人々は、復活の可能性がないことの根拠を持っておらず、そのときが明らかではないことのみを口実にし、それを否定しようとしている。全ての人は自分が死ぬことを確信しているが、それがいつ訪れるのかを誰も知らない」 コーランはこの2つの節で、次のように語っています。「最後の審判は必ず訪れる事柄であり、神が定めたことから、わずかたりとも早まったり、遅れたりすることはない。あなた方は、最後の審判の痕跡を目にして、それを逃れたり、それを遅らせたりすることはできない。そこで、最後の審判を否定するのではなく、その日に自分の行いの責任を取ることを考えた方がよい」

 

第29節と30節の教え

  • 最後の審判がいつ行われるかを知るのは、神のみです。神の預言者たちでさえ、それを知りません。
  • 最後の審判がいつ起こるのか、あるいはそのときの人間への報奨や懲罰はどのように行われるのか、ということを口実にするのではなく、自分の考え方や行動を改め、そのときまでに、蓄えを持って最後の審判に立てるようにしましょう。

 

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